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レスリング五輪競技除外危機

日本人が強い国際競技は、決まってルールが変わり、日本人にとって不利になる。

という不平不満は、様々なスポーツ競技において長年に渡って語られてきた。

僕自身、そういうことに対して常々憤りを感じてきた。


が、今回、レスリングが五輪競技から外れるかもしれないという報道を受けて、

もはやそういう考え方には軌道修正が必要なのではないかと思った。


最初にこの報道を聞いた時には、

ああまた日本人が強い競技が憂き目にあうのかと、IOCに対して怒りに近い感情を覚えた。

しかし、必ずしもその感情は正しくないと思い始めてきた。


テコンドーや近代五種などの競技は、レスリングに先んじて五輪の中核競技に勝ち残った。

この現実を裏打ちしているものは、「政治力」に他ならない。

各競技組織が、IOCに対して適切な政治的アプローチを行ってきたからこその結果なのだろう。

報道にも出ているが、ロビー活動とも呼ばれるその政治的な動きが、国際レスリング連盟に欠けていたことは明らかだ。


スポーツの世界において、「政治」という言葉が中核に絡むことに嫌悪感を覚える人も多いだろう。

けれど、もはやその嫌悪感はお門違いだと思う。

オリンピック程の世界中を巻き込んだ巨大なスポーツイベントの組織運営において、

政治というものが司るパワーバランスを除外することなど無理だし、無意味だ。

社会の成り立ちと全く同じで、オリンピックに絡むすべての人間が等しく満足することなど出来るわけがない。

そこに政治的なせめぎ合いが生じることは必然であり、健全なことなのだと思う。


すべてのスポーツは、「ルール」の上に成り立つ。

その「ルール」も、最初は決定権を持った誰かによって作られたはずだ。

故に、その決定権の遷移により「ルール」自体が変動することもある。

詰まるところ、ありとあらゆる思惑を持った人間が集まった国際舞台で競技を行う以上、

「勝負」は、その「ルール」決定の段階から始まっているのだと思う。

幼稚な美意識によって「政治力」をおざなりにして、その場にすら居なければ、もうそれは「勝負」にすらならない。



日本人に不利なルール変更が繰り返されていることが問題なのではない。

ルールが変更される場面に、政治力を持った日本人が無く、「勝負」出来ていないことが問題なのだ。

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