HOME>スポンサー広告

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
HOME>ひとりごとの記憶

滅びの呪文 解放

いつもと同じ負荷に設定した40分間の有酸素運動マシンのペダルが、二日続けてとても重かった。

疲労がたまっているらしい。が、汗だくになりながら何とかこなした。

有酸素運動の最中に「天空の城ラピュタ」のテレビ放映を垣間見て、

帰宅後、「バルス!」以降のラストシーンを観た。

部分部分を観ても、相変わらず総てのシーンが素晴らしい。

この無駄と粗の無さは何だろうと改めて思った。



その後のニュースで、浅田真央選手の母親が死去したという報を聞いた。

「危篤」を受け、急遽GPファイナルを欠場するという報を聞いて残念に思ったが、更に残念に思う。

先日、読んだ小説で、「死」は特別ではなく、だからこそすべての「死」が平等だという表現があった。

その通りだろうと思う。

身近な人の死や、関心が高い人の死は、「特別」に映り、時に理不尽にも思ってしまうけれど、

結局は、すべての「死」は平等で、「自然」なことなのだろう。

だからと言って、すべての場合において、“それ”をすんなりと受け入れられるなんてことは当然ないのだけれど。


振り返ると、何だか今年は特に「死」に触れた一年だったような気がする。

「3・11」のあまりに大きな悲しみはもちろんだけれど、

とりわけ自分にとって馴染み深い方々が多く逝ってしまった。

毎週観ていた「アタック25」でお馴染みだった児玉清さん、

僕にとっては「ゴジラVSビオランテ」のヒロイン役が印象的だった田中好子さん、

「刑事コロンボ」のピーター・フォークさん、

一番好きな俳優だと言っても過言ではなかった原田芳雄さん、

阪神在籍時のピッチングに熱くなった伊良部秀輝さん、

日本サッカー史上屈指の“現役”DFだった松田直樹さん、


そして、愛犬のピノコ……。


“天国”、“死神”、“輪廻転生”……、人間が「死」を受け入れるために作り出した様々な言葉はあるけれど、

どう取り繕っても、やっぱり悲しいし、辛い。

でも、悲しさや辛さに打ちのめされつつ、

先に逝ってしまった人たちと彼らの人生を崇め敬うからこそ、

残された人間はその先を生きていけるのだろうとも思う。



シータとパズーが唱えた「バルス!」は“滅びの呪文”だけれど、

同時に、すべてを解き放ち、新たな空へ飛び立つための言葉だったようにも思う。

同じように、「死」は終着点であると同時に、

当人と、その周囲の人々と、影響を与えた人々にとっての新たな始まりなんだなと思う。

この記事のトラックバックURL

http://tkl1121.blog39.fc2.com/tb.php/1906-051f41a0

コメント

コメントする

管理者にだけ表示を許可する

  Template Designed by めもらんだむ RSS

special thanks: Sky Ruins, web*citronDW99 : aqua_3cpl Customized Version】


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。