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HOME>父親のひとりごと

二週間

二日ぶりに愛娘に会いに行くと、また少し顔つきが変わっていたように感じた。

生まれて二週間。一日一日、育っているんだろうなあと思う。



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7月7日からちょうど二週間が経ち、さすがに自分には子供が居るという実感は伴っているつもりだ。

“紬”という名前の理由の文章にも記したように、

彼女が、長くて丈夫な良い時間を過ごせるように、せいぜい手助けしていきたいと思う。

ただそれは、愛娘のために自分の人生を捧げるということとイコールではない。

近しい友人たちには、ここ数日間の飲み会の場で喋っていたかもしれないが、

僕が今、自分以外の人間で最優先に考えているのは、愛娘ではない。

愛妻である。

そのことは、出産に立ち会い、目の前で自分の子が生まれた瞬間から生じた明確な価値観だ。

僕は基本的に自分本位な人間なので、何よりも自分の意志が優先されることは今までも、これからも揺るがないし、自分の幸福を何よりも重要視する。

ただしそれは、自分の幸福は愛妻の幸福だと思っているからで、愛妻の幸福は自分の幸福だと思っているからだ。

でも一方で、愛娘の幸福は自分の幸福には直結していないと思っている。

もちろん、愛娘の幸福を望んでいないわけなどなく、表現が難しいけれど、

愛妻の幸福は自分の幸福と思えるのに対して、愛娘の幸福は彼女自身の幸福だと思うのだ。



不思議なのだが。

自分だけでは何も出来ない乳児の愛娘を見ながら、彼女は自分自身の力でこれから如何様にも生きていけるのだろうと感じ、僕はただ見守っていれば良いと思う。

その反面、乳をやっている愛妻を見ていると、彼女がこれから生きていくためには、自分という人間が絶対に必要だと感じ、僕は手を取らなければならないと思う。

つまるところ、自分自身がそういうことなのだろう。僕自身が生きていくために、愛妻という人間がもはや不可欠なのだ。


少し情けない宣言のようにも聞こえるが、

実際に、結婚をし、子を授かり、その先を生きていくということは、

そういうことなのではないかと思うし、そうあるべきだとも今は思う。

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