ご無沙汰のひとりごと
幸福なんてものは、どうやってもカタチがないだけあって、
確実に、“それ”に溢れた時間を過ごしても、実感なんてなかなか得られないものだ。
ということを、この明確な幸福感に溢れた数日間を過ごしてみて、感じ入った。
11月14日の結婚式から始まり、その後の二次会、三次会、四次会……(たぶん五次会は行ってないハズ)、
そしてオーストラリアへのハネムーン。
はっきり言って、我ながら最高に素晴らしい時間を過ごせたと思う。
それはどうにも間違いない。
ただし、その素晴らしい時間を、その幸福感を、完全に実感できているかというと、
数日経った今でも、どこかフワフワとしていて、詳細な感覚が伴わない。
過ごした時間に対して、満足感は確かにある。
でも、一体それがどういう感覚だったのか、どういう嬉しさや楽しさだったのか、
そういうことを明確に表現することが出来ない。
詰まりは、そういうものなのだと思う。
実体がないからこその「幸福」であり、
だからこそ素晴らしく、だからこそこれから先も追い求めることが出来るのだと思う。
まあそんなこんなで、本当に色々なことがあった日々だった。
思ったよりも実感が伴わなかったにしても、思い募ることが多々あったわけで、
次回からボツボツと呟いていこうと思う。
確実に、“それ”に溢れた時間を過ごしても、実感なんてなかなか得られないものだ。
ということを、この明確な幸福感に溢れた数日間を過ごしてみて、感じ入った。
11月14日の結婚式から始まり、その後の二次会、三次会、四次会……(たぶん五次会は行ってないハズ)、
そしてオーストラリアへのハネムーン。
はっきり言って、我ながら最高に素晴らしい時間を過ごせたと思う。
それはどうにも間違いない。
ただし、その素晴らしい時間を、その幸福感を、完全に実感できているかというと、
数日経った今でも、どこかフワフワとしていて、詳細な感覚が伴わない。
過ごした時間に対して、満足感は確かにある。
でも、一体それがどういう感覚だったのか、どういう嬉しさや楽しさだったのか、
そういうことを明確に表現することが出来ない。
詰まりは、そういうものなのだと思う。
実体がないからこその「幸福」であり、
だからこそ素晴らしく、だからこそこれから先も追い求めることが出来るのだと思う。
まあそんなこんなで、本当に色々なことがあった日々だった。
思ったよりも実感が伴わなかったにしても、思い募ることが多々あったわけで、
次回からボツボツと呟いていこうと思う。
この記事のトラックバックURL
http://tkl1121.blog39.fc2.com/tb.php/1323-a9bda32a