2011年11月

  1. 2011/11/01 太鼓の音は意外と大きい
  2. 2011/11/02 最後の探し物
  3. 2011/11/03 行事
  4. 2011/11/04 “魔王”
  5. 2011/11/05 風邪
  6. 2011/11/06 2011CSFS評
  7. 2011/11/07 遊び心
  8. 2011/11/10 残り10日
  9. 2011/11/12 多忙
  10. 2011/11/13 日曜日の朝に覚えていること
  11. 2011/11/14 冬支度
  12. 2011/11/15 異様なるアウェー
  13. 2011/11/17 沈黙
  14. 2011/11/18 もうこんな時間
  15. 2011/11/19 期待
  16. 2011/11/19 悲しみ
  17. 2011/11/19 18年分の感謝とそれに伴う愛くるしい価値
  18. 2011/11/20 20代最後の日
  19. 2011/11/21 さよならはじめまして
  20. 2011/11/23 陽だまり
  21. 2011/11/24 記憶の価値
  22. 2011/11/25 1年半ぶり
  23. 2011/11/26 禁断の果実
  24. 2011/11/29 最終コーナー

太鼓の音は意外と大きい

いろいろあってたいぶ遅れてしまったけど、

昨日の日曜日に、お宮参りに行った。

雨は降るし、愛娘は祈祷中泣きわめいて、大変だったけれど、

まあそれも良し。

でんでん太鼓も貰えたし。


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最後の探し物

友人から忘年会の計画に関するメールが届いた。

気がつけば11月。今年も2ヶ月を切った。

あまり寒くもならないので、余計に季節の移り変わりがピンとこない。

日中、暑くてエアコンをつけてしまうくらいだから、気象はいよいよ滅茶苦茶だ。


まあそれでも、問答無用に時間は過ぎていくわけで、必死になってついていくしかない。

と、思いながら、一日遅れてトイレのカレンダーをめくった。

docomoで貰ったミッキーマウスのカレンダーもついに最後のページ。

お約束のようにクリスマスのシーンが描かれていた。

恒例の“隠れミッキー”探しもラスト。

ラストらしく、これまでで一番難しかった。

行事

先月末、TSUTAYAに行くと、店員が妙な格好をしていた。

正確に言うと、黒いマントのようなものを羽織った人とぶつかりそうになり、その人がいやに丁寧に謝ってきたので、店員だと気付いた。

その後、近所のスーパーに行くと、レジのお姉さんもおばさんも妙なかぶり物をしていた。

たぶんその日は街のあちこちで同様の光景を目にした人も多いのだろう。

なんてことはなく、各店舗が“ハロウィン”に便乗した扮装である。

毎年思うが、ハロウィンなんて行事はイマイチ日本で定着していないのに、

なぜにこうもしつこく浸透させようとしているのだろう。

どうせ何かしらの業界のビジネス戦略なのだろうが、

無理矢理にのせられて、妙な衣装を着せられている店員を見ると、

嫌悪感を覚えるまではいかないが、違和感は確実に覚える。


同じような感じで、「恵方巻」や「ボジョレーヌーボー解禁」などに対しても、

そもそも年中行事として定着していないものを、無理矢理にさも「常識」と言わんばかりに押し付ける商業主義が垣間見えて、なんだかなーと思う。


なんだか、歳を重ねるにつれ、年間の「行事」の数が増えてきているように感じているのは、自分だけなのだろうか。

年中行事が増えること自体は、色々と楽しみも増えることなので、別にいいとは思う。

ただ、なんでもかんでも誰かしらの「思惑」に乗せられて、

意味も分からず有り難がるのは、「格好悪いなー」と思う。



先日行った愛娘の「お宮参り」や「お食い初め」も、

自分の中では近年になって急激に聞き慣れてきた行事だったので、

本当に昔から行われてきていたものなのか?と疑問を抱いていたが、

これは単に、自分自身がそれらを行った記憶と記録が残されていないだけで、

一応「常識」らしい。


まあ、様々な行事を、何をもって「常識」とするのかなんてことは、

結局のところ、個々人の生活環境における価値観に委ねられるのだろうと思う。

“魔王”

この国の政治とそれを担う政治家と呼ばれる人たちの「役割」が、まともに機能しなくなって久しい。

もはや何がどう悪いのかも明確でなく、生業に関係なくすべての“国民”が右往左往している気がする。

そして、不安に苛まれた大衆は、その目の前の混沌から次第に目をそらし始めているように思えてならない。

問題が鬱積し、散らばり乱れ、何をどうしたらいいのか。

そんな不安。



実際問題、もうこんな窮地を救えるのは真っ当な「英雄」などではなく、

大衆を操作し、凌駕する恐るべき“力”を持った「魔王」なのかもしれない。


先日に引き続き、伊坂幸太郎の小説「魔王」を読んで、そういうことを思った。

主人公として登場する兄弟がそれぞれ“超能力”に目覚める様を描いたこの物語は、非・現実的であるが、

そのモチーフがむしろ効果的に現実社会に通じる「危機」を明確にしている。


情報の「検索」のみに没頭し、それに対する「思索」を忘れた現代人が、今まさに直面している危険性。

“真剣に考えて生きる”ということを思い出していかなければ、

現代人は、このまま「日常」と化した濁流に流され呑み込まれていく。


本当に「魔王」が現れるのであればまだいい。

ただそうでなければ、

思索も選択も出来ぬまま、与えられた「結末」にただ押し潰されてしまうだろう。

それは、今僕たちが直面する最も現実的な「悲劇」だと思う。


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(2008/09/12)
伊坂 幸太郎

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風邪

一昨々日から喉がカラカラと明らかに乾燥していて痛かった。

一昨日の文化の日に会社の行事でバーベキューをして、少々無理をしてはしゃいでしまい、一気に疲労が許容オーバーになってしまったらしい。

昨日の午後から風邪の諸症状が出始め、薬を飲んで眠った。

熱はそれほど高くなく、食欲もあるが、ただただ怠い。

今日は、愛妻と愛娘を避難させて、大人しくしていようと思う。


いつからだろうか。

風邪をひくことにデメリットしか感じなくなったのは。

子どもの頃は、風邪ひきなんて一種のイベントだった。

学校を休めて、一日中寝てられて、美味しいものを食べられて、家族に優しくされる……そういう日だった。

今は、平日に風邪をひいたところで仕事を休めるわけでもなく、

休日は体調を戻すことに集中するしかなくそれだけで一日が潰れる。

そして、何と言っても、このところは体調を崩すとしんどくて仕方が無い。治りも遅い。

メリットなど何もなく、ひたすらに恨めしく馬鹿らしい。

2011CSFS評

クライマックスシリーズファイナルステージ、決着。

結局、勝ち残ったのは両リーグの優勝チームだった。

結果は順当だったけれど、日本シリーズ進出をかけたせめぎ合いはやはり熱く、野球の面白さに満ち溢れていた。

野球というスポーツは、短期決戦でこそ面白さが発揮される競技なのではないか。と、思える。

WBCも日本シリーズも高校野球も短期決戦で一戦一戦に後が無いから盛り上がる。


まあそう単純に済まさせることではないんだろうけど。

とりあえず、アンチ中日の僕は、これで心置きなくホークスの応援が出来るというもの。

遊び心

Googleのバナー広告からおもむろに入った「The Google Puzzle」がやけに面白かった。

オリジナルブラウザのGoogle Chromeのダウンロードをユーザーに促進するためのブランディングの一環なのだろうけれど。

さすが、Google。アソビゴコロが半端じゃない。


が、苦労して辿り着いたエンディング映像がChromeでは動かなくて、結局Firefoxで見るはめに。

どうなのそれ。


まあいずれにしてもダウンロードはさせたわけだから、Googleの目論見は成功していると言えよう。

残り10日

あー、ヘビーだ。厳しい。

ある意味では、

果てしなく沈み込んだ20代最後の10日間に相応しいと言えなくもないが……。


どうしたものか。

多忙

気がつけば、季節は晩秋。スポーツシーンが忙しい。

今夜も、21時過ぎに帰宅するや否や、

まずサッカーのワールドカップアジア3次予選対タジキスタン戦を録画で観戦。

格下といえどもアウェーの悪条件の中で、最終的には4-0で快勝。

勝利の余韻に浸る間もなく、続けてフィギュアスケートのNHK杯女子シングルSPをこれまた録画で観戦。

鈴木明子の会心の演技と、浅田真央の復活の演技に、それぞれ安心感を覚えつつ、明日のFSに期待が膨らんだ。

さて更に女子バレーボールのワールドカップ対セルビア戦を観ようと思ったが、

同時間にスポーツ中継が重なっていたため録画出来ていなかった……(試合はストレートで敗戦していた)。


そんなふうに中継を録画しきれないくらいに忙しい。


そんなスポーツが熱い時期に、見苦しい“内輪もめ”を大々的に露呈してしまう読売巨人軍というプロ野球チームは、つくづく愚かだなあと思う。

今日の午前中に「重大発表」の触れ込みで緊急記者会見が開かれるという報をインターネットのトッピックスで見た。

「重大発表」と言われれば気にならないわけにもいかず、会見開始時間前からTwitterで情報収集を始めた。

会見開始直後、「内輪もめ」という言葉がTwitter上ですぐに賑わい、「馬鹿らしい」と思った。

「馬鹿らしい」と思う反面、アンチ巨人の者としては、巨悪の元締めである元オーナーが内部告発の的になる様は、無責任に愉快だった。

このことで、この球団の何が変わるのか?と言われれば、甚だ疑問だが、清武GMの告発が事実ならば黙殺されるよりはずっといいとは思う。

ただし、この世間がいろいろな意味でクソ忙しい時期においては、やはりどうでもいいことであることは確かだ。

清武GMは読売新聞社の記者出身らしい。

記者魂に火がついたのかどうか知らんが、もっとスマートで効果的なやり方があったのではないかとも思う。


明日は、日本シリーズが開幕し、フィギュアスケートは女子のSFに加え、男子のSPも始まり、女子バレーは韓国戦。

忙しい。忙しい。

日曜日の朝に覚えていること

ちょっと行きつけになっている駅前の居酒屋で、

生ビールを中ジョッキで2杯、

麦焼酎の水割りをたぶん4杯、

店を変えて、

モスコミュールを1杯、

赤ワインを1杯、

帰宅し、

ウィスキーの水割りを1杯、

目が覚めるとリビングのソファーで、

テレビがつけっぱなしで朝のニュース番組が流れていた。


ウィスキーを飲みながら、

フィギュアスケートNHK杯の女子シングルFSの録画を観て、

鈴木明子の優勝に喜び、浅田真央の復調に安心し、

外国人選手では、ロシアのアリーナ・レオノワと、グルジアのエレネ・ゲデバニシビリが好きだなあと思い、

ああいう体型の女性が好きなんだろうなと自己確認したところまでは覚えている。


二日酔いはあまりない。

“あちこち”のブログで使われている表現を使うならば、

今年あと7回しかない日曜日。

何をするかが問題だ。

冬支度

日曜日。

愛妻と愛娘とショッピングモールへ行き、

ネックウォーマーと手袋を買った。

洒落たものを買おうと思っていたけれど、

これからの季節において、その二つのアイテムに求められるものは、

何を置いても、

原付移動時の防寒であり、

その役割を最大限に発揮してくれるものを買うべきだと思い、

デザイン性を脇において、

機能性と費用対効果を重視して、

無印良品とユニクロでそれぞれ買った。

早速今日から使ってみた。

首尾は上々。

防寒の備えもできた。

冬がもうすぐ始まる。

異様なるアウェー

少し遅く帰宅し、サッカー日本代表の北朝鮮戦を録画で観戦。

夕刻に訪れた営業先の社長が事務所でテレビ観戦をしていたので、

1点ビハインドの途中経過は知っていた。

その後、せめてドローには持ち込めたかと期待したが、結局そのまま敗戦してしまっていた。

何がどうであれ“勝負事”なので、敗戦に対して「仕方ない」とは決して言わないけれど、

22年ぶりという平壌での「完全アウェー」は、やはり通常ではあり得ない「異様」な状況だったようだ。

圧倒的な大声援や大ブーイングなんかは、中東や中国でのアウェーでも珍しくないことだろうが、

それらが明らかに「統制」されている様が常軌を逸していたようだ。

あれほどまで異様な環境だと、

選手たちにとっても、制限を受けながら応援に駆けつけた数少ないサポーターたちにとっても、

「勝利」を得られなかった不満よりも、

貴重な「経験」を得られた満足感の方が大きいのではないかと思った。

沈黙

いや、きびしい。いやほんと。

まあいいや。




4

もうこんな時間

毎日、気がつくと0時をまわり、寝支度をしなければならなくなる。

今夜も色々と疲れて帰宅し、

ほんの短い時間、愛娘と戯れ、愛妻と話し、

各種スポーツの中継と録画とダイジェストを熱心に観ていたら、

瞬く間に眠らなければならない時間。

寝たくはないのに。


ソフトバンクホークスの秋山監督の“勝負師”としての才覚が覚醒し始めたことや、

サッカーの天皇杯ならではの“ジャイアントキリング”が熱いことや、

女子バレーの全日本チームが五輪出場に向けてぎりぎりのところで勝負強さを見せていることを、

つらつらつらつらと語りたいところなのに、

それも許されない夜。

期待

女子バレーの全日本チームは、今ワールドカップでの五輪出場決定は成らなかった。

上位3チームに与えられる五輪出場権は得られなかったが、

来年のロンドン五輪において女子バレーは、もしかするともしかするんじゃないかと思わせた。

それは、もしかしてメダルが穫れるかもしれないではなく、

もしかして“なでしこJAPAN”並みの快挙をやってのけるかもしれないという期待。

散々バレーボールを見てきて、世界における日本チームの苦戦を長年見続けてきた者であっても、

今夜の全日本チームは圧倒的に強く、そういう期待を否応にも持たせた。

チーム全体の力が大きく伸び、安定し始めている。

そして、エースの木村沙織が、ちょっと凄過ぎる。

悲しみ

新居浜の街の中心の大通りを営業車で走る。

土曜日で大雨だからか、侘しく、閑散としている。

そんな中を、嗚咽を漏らしながら、街の端まで走った。

海に出たかったけれど、闇雲に辿り着いたのは、工場が建つ河口だった。

車を止め、取り敢えず泣いた。

声を出して、泣いた。

悲しいけれど、やはり感謝の方が大きい気がする。

とてもじゃないが、今はこれ以上は言葉にならない。

ただ悲しみに暮れよう。

18年分の感謝とそれに伴う愛くるしい価値

18年前。自分は何をしていたのだろうと思う。

平成5年、12歳。

あと2日で30歳になってしまうことはすぐに分かるけれど、

18年前の自分が何をしていたのかなんてことは、もう殆ど思い出せない。

18年という月日は、そういう時間の長さだ。



18年間、紛れもなく自分たち家族の一員だった愛犬の“ピノコ”が、今日、逝ってしまった。

正午過ぎ、母親からのふいのメールの着信に気づき、その訃報を知った時、僕は少し遠い街の寂れたパチンコ店の駐車場に居た。

土曜日だけれど、仕事の締め日なので市内外を営業車で走り回り、

何とか午前中の一仕事を終え、

あまり食欲が湧かなかったので、辿り着いたその駐車場で小休止をしていたところだった。


メール自体は“ふい”だったが、愛犬の死は、充分に「覚悟」していたことだった。

実は、三週間前にピノコは危篤状態に陥っていた。

「呼吸」という行為をいつ止めてもおかしくない息絶え絶えな姿を見て、涙が止まらなかった。

「もう、無理をしなくてもいいよ」とも思った。

息をしているピノコの姿を見るのは最後かもしれないと思い、その夜を越えた。

でもピノコは、その次の日も、その次の日も、生きた。

歩けず、常に寝そべっている状態は変わらないけれど、危篤状態からは確実に抜け出し、

一週間程前は、“いつものように”差し出した手を餌と勘違いし噛み付こうとさえした。

当然だが、先が長くないことは既に覚悟していた。

それでも、生き続け、「生命」を表現するピノコに対して、本当に心から「偉いね」と思った。



この数週間、母親からのメールの着信を見た時は、いつも「もしかして」と思った。

開きたくないという思いを一瞬感じ、意を決してメールを見る日々が続いてた。

メールの内容を見た。

「ああ……」と思った。

涙が滲むより先に、「そうか……」と思い、途端に涙があふれた。

様々な状況を整理するよりも前に、その場で、ひとしきり泣いた。


街の端まで行って、さらにひとしきり泣いた。

そして、さあどうしようかと思った。

たぶんだけれど、少し前の自分ならば、その場で仕事をほっぽり出して愛犬の元に駆けつけたろうと思う。

でも、そうじゃなかった。

ひとしきり泣いたら、少し落ち着いた。

そして、取り敢えず仕事をしないとと思った。

自分の身近な人たちを含めて、一般論からすれば至極当たり前のことだろうと思う。

ただ、自分の中では、そう思い、そういう行動をしている自分自身に対して違和感を覚えずにはいられなかった。

その「変化」がまず“嫌”だった。でも同時に、正しいのだろうとも思った。


違和感を覚えつつ、コンビニのトイレで涙を拭い、顔を洗った。

5分後には、飛び込み営業をした先で愛想笑いを繰り広げていた。

自身の言動に疑問を感じた。

でも、それと同時に、今自分がやるべきことをしているという自負も覚えた。

夕方まで、その街で仕事をし、暗くなり始めた頃、地元の街へ帰った。

仕事は、ぎりぎりのところの成果は上げられて、最悪の結果は回避し、締め日を終えた。

多大な喪失感と、ささやかな達成感を同時に味わった一日だったなと思いながら。


20時前、いろいろな意味で長くてしんどい仕事を終えた。

仕事帰り、コンビニに寄って安い赤ワインを買ってから、実家に赴いた。

一人看取った母親に目で挨拶をしてから、横たわる愛犬の前に座した。

途端、涙が滲み、溢れ、落ちた。

また、ひとしきり泣いた。

息を引き取った後に、母親が綺麗に洗ってくれたようで、

ピノコは、本当に眠るように横たわっていた。

涙で視界がぶれると、「あ、今息をした」と錯覚させる程、安らかだった。


涙は止まらない。

でも、三週間前に同じ場所で流した涙とは、少し感覚が違っていた。

もちろん、悲しい。

ただ、それと同時に大きな感謝と、深い安堵感を覚えた。


18年という時間は、どういう側面から見たって長い。

その長い時間、様々な面で、自分たちの家族を支え、繋ぎ止めてくれたことに対する感謝。

一生物として与えられるべき生の時間を精一杯全うしたことに対する安堵感。


いや、一つの「生命」として、たくさんの役割を果たし、生き抜いたことに対して、

「感謝」とか「安堵感」なんておこがましい。

そこに芽生えるのは、ただひたすらな「尊敬」だ。


18年という時間の中で、当然、自分自身も子供から大人へと成長している。

たぶん、その過程の中で、酷いことも言ったろう、酷いこともしただろう。

良い飼い主であった自信は無い。

そんな状況で甚だ勝手だとは思うけれど、

それでも、

ピノコが、この18年間を少しでも“幸福”だと思っていてくれたことを願ってやまない。

もしそうならば、

僕たちにとっても、それ以上に嬉しいことはない。



「ありがとう」を幾つも伝え、涙を拭い、母親と赤ワインを飲んだ。



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20代最後の日

11月に入ってからのこの二週間は、

まるで、自分自身の「20代」という時間を象徴するような日々だった。

なんとなく物事がうまくいかない日々に疲れて、気怠くなり、つらかった。


まず月初めに風邪をひいた。

高熱が出たり体が動かなくなったりしたわけではないが、

中途半端な気怠さが、逆にテンションを著しく盛り下げた。

例によって仕事の効率も上がらず、無意味な日々が続いてしまった。

風邪の気怠さはしつこく付きまとい、一週間くらいしてようやく治まった。


キャンペーンの展開等で、今月は忙しく仕事をしなければならない月なのに、

まったく成果が上がらず、気ばかり焦り、そのくせ行動が伴わないという、

この数年間で何度も味わった悪循環のスパイラルに入り込み、地味にもがいた。


仕事の締め日まで一週間を切り、ようやく開き直って、明日からがむしゃらに動こうとし決めた日の夜、

原付での帰宅途中に並走してきた乗用車に巻き込まれ、ぶつかった。実は。

右足の痛みに悶絶する中、乗用車はそのまま走り去ってしまった。

それほど大した接触ではなく、痛みは感じるものの軽い打撲だろうという感じだったので、

痛みに耐えつつ、そのまま帰宅した。

さすがに少し腫れ、歩くのも痛かったが、湿布を貼って2~3日でようやく治まってきた。


そして、昨日、仕事の締め日で東奔西走する中、実家の愛犬が死んだ。


そうして、今日、20代最後の日を迎えている。



こうして書き連ねると、悪いことばかりが続くこの二週間に対して、僕が沈み込んでいるのだろうと思われるかもしれない。

でも、必ずしもそうではなかったりする。

もちろん、テンションは下がりっぱなしだし、様々な鬱積もたまり、そのことが原因で愛妻と小さな喧嘩もしてしまった。

ただ、そういう数々の悪いことに対して、すべて「経験」が先立っていることに気付く。

意気消沈はするが、同じようなことはこの20年の間に何度もあって、

どんなに暗く厳しい日々が続いても、

結局は乗り越えられることを、誰よりも自分自身が知っている。


だから僕は、悪循環に陥ったここ最近の日々に対して、

特にそういうことが多かった20代という時間を振り返っているような感覚を覚え、

ある種の感慨深ささえ感じていた。


どんなに良いことも、どんなに悪いことも、すべては「一日」の中だけにあって、

「一日」は、確実に始まり、確実に終わる。

そのことを自身の人生の中で思い知ったことが、この10年における成長だったように思う。


風邪は次第に治るし、怪我も治る。

喧嘩もするけれど、仲直りもする。

成果が上がらなかった仕事も、最終的にはなんとか帳尻を合わせられている。

寄り添った「生命」の大切な死があるからこそ、別の新たな誕生を迎えられる。

昨日大雨だったから、今日は気持ちよく晴れている。

泣くことができるから、喜ぶこともできる。



すべては表裏一体で、一対だと思う。




まだまだ「経験」したこともない大きな喜びも、大きな悲しみも、この先には溢れかえっているだろう。

でも今は、また新しいスタートが切れることが、ほんとうに楽しみだ。


ゴール、そしてスタートまで、あと12時間。

さよならはじめまして

20代最後の夜、

日本シリーズの最終戦を観ながら、友人二人と飲んだ。

スポーツ観戦は、自分と同等以上に知識と関心を持っている人と観ると、

その楽しさは倍増する。

久しぶりにとても楽しい野球のテレビ観戦ができ、

しかもホークスが日本一になったのだから、

最高だった。



試合終了後もわらわらと飲み続け、

気がつけば、30歳になっていた。

どうもこんにちは。

さて、参ろうか。

陽だまり

三日前の日曜日に、実家の庭の木の下に穴を掘った。

昨日、昼の束の間、家族が集まり、その穴に愛犬のピノコを埋葬した。

空は、先週末までのぐずつきが嘘のように、雲一つなく晴れ渡っていた。

寒がりで、冬の間はずうっと布団と炬燵から出ようとしなかった愛犬を、歓迎するような空に思えた。

冷たく、固くなった愛犬の体に触れ、泣いて、

徐々に土に覆われていく様を見て、また泣いた。


悲しいけれど、あたたかさも感じた。

僕たち家族みなが、この「生命」と寄り添い、支えられたことに対する感謝の想いが、ぬくもりを発していた。


庭の木々が、小春日和の陽だまりの中で風に揺れている。

寂しくなる。

でも、僕たちは、もう少し生きてみる。


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記憶の価値

そういえば先週末に「真夜中のマーチ」という小説を読んだことを思い出した。

ちょっといろいろありすぎて、自分が何に触れたのかもついつい忘れてしまう。

きっと30年生きてきた中では、そういうことが山のようにあるのだろうと思う。

すべてを記憶に留めておくことは難しいけれど、

何らかの形で残すことが、新たな価値になると思う。


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奥田 英朗

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1年半ぶり

“漫画は単行本で読む派”なので、相も変わらず刊行される何かしらの漫画を買っている。

最新巻が待ち遠しい作品はいくつもあるが、

今買っている漫画の中で、最も待ち遠しく、そして最も待たされる作品の最新巻がようやく出た。

岩明均の「ヒストリエ」第7巻。

第6巻が発売されてから実に1年半ぶりの最新巻である。

もうあまりに久しぶりなので、一体どういうストーリー展開だったのかもうろ覚えのまま、

取り敢えず出先だったので最新巻だけ読んだ。

“うろ覚え”だったにも関わらず、しっかりとこの漫画の独特の世界観に引き込まれ、「流石」だと再認識して読み終えた。

アレキサンダー大王の書記官として仕えたエウメネスの波乱の生涯を描いたこの漫画、

物語はまだまだ起承転結の「起」から「承」にさしかかったという印象。

連載開始からすでに8年が経とうとしているが、単行本はいまだ7巻が出てばかり。

一体、いつ終わるのか。

そういう部分も含めて、いろいろな意味で果てしなく、期待はむやみに膨らんでいく。


ヒストリエ(7) (アフタヌーンKC)ヒストリエ(7) (アフタヌーンKC)
(2011/11/22)
岩明 均

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禁断の果実

“クローン”という言葉が、小説や映画で取り上げられ、

ついには現実社会のトピックスとして耳にするようになって久しい。

もはや大概の一般人が、その「技術」の大体の仕組みはイメージ出来るくらいに、浸透していると思う。

同時に、それが「禁断の領域」であることも多くの人が理解している。

でも、明確にその技術を“禁ずる”動きはあまり見られない。

それは、“クローン”によってもたらされる「成果」が、

同時にもたらされるだろう人間にとって破滅的な「代償」の存在を見失わせるほど、

悪魔的な魅力に溢れているからだろうと思う。



スポーツクラブから帰宅した金曜日の深夜、

クライマックスを残していた東野圭吾の「分身」という小説を最後まで読み終えて、

掴みかけた最先端の技術に翻弄され、破滅に突き進もうとする人間の愚かさとおぞましさ、

そして、それらと共存する生命の崇高さを感じた。


禁断の最新技術に溺れる人間の様を愚かしく思うと同時に、

果たしてそれを真正面から否定出来る者などいるのかと懐疑的になった。

新しく、不確かなものを否定することは容易だ。

しかし、すでに僕たちは、有史以来様々な「最新技術」によって生かされている。

あらゆるものを踏み越えてこなければ、今の世界はあり得なかったとも思う。


小説のラストで、“クローン”として生み出された二人の主人公は、新たな道を前にレモンをかじる。

それはまさに現代における“禁断の果実”の象徴のように思えた。

“禁断の果実”を口にしたアダムとイブを、この地球上に生きるすべての人間は否定出来ない。



どうあがいても、その先には破滅しかないのかもしれない。

それでも、生命として存在する以上、その道を進むしかない。


分身 (集英社文庫)分身 (集英社文庫)
(1996/09/20)
東野 圭吾

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最終コーナー

明日で11月も終わる。いやはやはやい。

12月もすでに予定が詰まり始めていて、2011年という年がラストスパートをかけていることが、ビシビシと伝わってくる。

いろいろなことがあった年だが、わりと良い年だったとは思う。

それも最後が良くなければどうにもならないので、あと一ヶ月余り気を抜かずに、行き行きたいと思う。


今年も残り一ヶ月となり、ふと年の始めに立てた目標を思い出した。


・映画を100作品以上観る

・小説を10冊以上読む

・体重を10kg落とす



現時点で、どれも達成は出来ておらず、達成が非常に困難なものもあるが、

一方でどれについても確実な進捗は見せている。

困難ではあるが、残り一ヶ月、注力すればゴールが見えない状況でもない。


2011年も最終コーナー。さて、ラストスパートに乗りますか。

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