2010年04月

  1. 2010/04/01 平坦
  2. 2010/04/01 「ありがとうございます」
  3. 2010/04/02 ホルモン記念日
  4. 2010/04/03 悪夢前夜
  5. 2010/04/04 桜舞い散る
  6. 2010/04/05 午後のひかり
  7. 2010/04/06 使命
  8. 2010/04/07 そんな年頃
  9. 2010/04/08 ユーティリティープレイヤー
  10. 2010/04/11 美意識の問題
  11. 2010/04/14 ストロベリー・ライフ
  12. 2010/04/16 思い出の思い出
  13. 2010/04/16 ハネムーン vol.11「野生のオウムと豪州代表戦」
  14. 2010/04/17 そして今夜も管を巻く
  15. 2010/04/19 観戦つぶやき
  16. 2010/04/19 春雨
  17. 2010/04/20 醍醐味
  18. 2010/04/21 運命
  19. 2010/04/23 「告白」
  20. 2010/04/24 或るスタイル
  21. 2010/04/25 いしづち
  22. 2010/04/28 終末

平坦

やっぱり時間は過ぎる。

苦しくても、辛くても、何もかもがいやになっても。

漫画の主人公のように、咆哮して街を駆けてみても、

卑怯で弱い自分は、ただそれに酔うだけで、赤信号を駆け抜けることなんて出来ない。

ただ、それでいいのだろうと思う。

少なくとも今は。

人に迷惑をかけても、蔑まれても、自分が大事であることが最も大事なことだと思う。

嘘をつくことが必要なら、嘘をつく。

休むことが必要なら、休む。

お酒が必要なら、飲む。

誠心誠意なんて決して容易なことではなくて、むしろ不可能だと思う。

一人の人間にやれることなど限られているし、本当に大事にすべきことも実際それほど多くない。

そう考えれば、世の中はずっとマシに思えて、ずっと楽しいかもしれない。


こうやって訳の分からないことをくどくどと繰り広げ、

自分勝手に満足して、

そうしてフラットな状態を保っていく。

とりあえず、それで良いやと思う。

「ありがとうございます」

本屋で、何やらすごく“おすすめ”されている漫画があって、

気になったので、ネットで中古本を注文した。


星守る犬星守る犬
(2009/07)
村上 たかし

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「星守る犬」というのは、

夜空の星を物欲しげに見上げる犬の様のことで、到底手に入らない物事を高望みする人間のことをあらわす言葉らしい。

泣ける。

悲しくて、一見救いが無いような物語にも思える。

ただ、少しだけ踏み込んで読み込むと、一抹に残った救いに感動する。

叶わない望みはとても多くて、叶わないまま人生を終えることがほとんどだろうと思う。

でも、本当に重要なことは、望みが叶うことではなくて、

無知でも、盲目的でも、望みを持って、生きられるということだと思う。

そうして生きて、最期を迎えることができれば、

それがどんな最期であっても、決して不幸ではないのだろうと思う。

ホルモン記念日

仕事を終えて会社から出ると、予想以上に雨が強かに降りつけていた。

自転車通勤なので、雨が強いと帰れなくなる。

まあ、実際は傘をさしていけば帰れるわけで、

高校時代の登下校時は、雨が降ろうが風が吹こうが、傘をさして10km以上の道のりを行き来していたわけだが。

心労甚だしく仕事を終えた後に、更にそんな苦労をする元気はない。

そんなわけで、こんな日は、妻に迎えに来てもらう。


会社近くのコンビニで時間をつぶしながら、迎えを待つ。


迎えにきてくれた妻のクルマに乗り込むと、

彼女も帰りが遅くなったらしく、晩ご飯が出来ていないとのことだった。


そこで、帰り路にあるホルモンの焼肉屋に行くことにした。

実は、前日の「シルシルミシル」で、焼肉を頬張る堀くんの姿を見て、猛烈に焼肉が食べたくなっていた。


妻には申し訳ないが、一人ビールを飲みながらホルモンを頬張る。

美味い。

歳をとったせいだろうが、最近普通の焼肉ではあまり量が食べられない。

ただ、ホルモンだとそれほど脂っこくないので、ビールのアテとしてどんどん食べられる。

今年は、ホルモンがマイブームになりそうな予感。


ホルモン



今日は木曜日。平日に贅沢なことだが。たまには良い。




P.S.「アメトーーク」を見ながら、「ああ、俺もポテトサラダ芸人だなあ」と思う。


P.S.のP.S.「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」(放送終了済)の全篇全放送分をダウンロードしてiPodで聴く方法を見つけた!これで当分の間、移動時間中の暇つぶしには困らない☆

悪夢前夜

土曜日が基本的に出勤日になって一月余り。

一週間のうち、正式な休日が一日しかないというのは、結構ストレスの要因である。

ただ、日曜日しか休みではない人は多いし、一週間で一日休みが取れない人も多いこの現実、

あまり贅沢も言ってられないのは、実情。


ただでさえ、一日しか休みがないのに、

明日の日曜日は、一年ぶりの“マラソン”……。

もちろん10㎞なのだが、まったくトレーニングをしてない上に、一年ぶり……。

ああ、怖い。

しかも、急に家族の家飲み(庭)に誘われて、庭先で焼肉をつつきつつ、さっきまで飲んでいた。

明日は5時起き…。

思い出すは、かつての“惨事”


まあ、何事もなんとかなる。

お茶のCMで真田広之が矢野顕子から教わっているように、

“始まれば、終わる”

“終わらないステージは無い”


さて、どうなることやら。

もはや、笑うしかない。

桜舞い散る

2010松野町マラソン


AM5時に起きて、松野町のマラソン大会へ。

せっかくの日曜日に、

なぜ5時に起きなければならないのか?とか、

なぜ2時間もかけて松野町まで行かなければならないのか?とか、

なぜ起伏の激しい山道コースを10kmも走らなければならないのか?とかとか、

当日になってそういうことをくどくどと考えても仕方がないので、

努めて明るく振る舞って、10km走ってきた。

なんだかんだで1年ぶりのマラソンだったが、これまで何度か走っているので、サボり方も心得ている。

走りつつ、歩きつつ、休みつつ、1時間16分かけて完走した。

桜舞い散るマラソコンコースは、アップダウンが激しく、準備不足で身体はすぐに悲鳴を上げ、

ゴール後はずっと膝と腰が痛い。

まあ何とか無事に終われたので良しとする。


2010松野町マラソン2

午後のひかり

100405



日本人宇宙飛行士の山崎直子さんが、宇宙へ飛びたった。

幼い娘を地球に残して飛び立つ母親の心境、

そして、母親が宇宙に飛び立っていく様を見送る幼い娘の心境は、

どんなものだろう。

いずれにしても、その経験は両者にとって素晴らしいものになるだろう。

ミッションの訓練のため単身赴任する母親を見送る娘が、

嬉しさを表現しながら涙を流す様子を見て、そう思った。

使命

人生において、自分自身の「使命」を認め、実行できることができれば、

その使命がどんな類いのものであっても、その人の人生はとても濃くて恵まれていると思う。

医者として、人の生命を救うことも、

刑事として、不器用な正義を貫くことも、

そして、テロリストとして、愛する人の報復を誓うことも、

それが、自分の命を懸けられる「使命」ならば、その人は幸福なんだと思う。


東野圭吾の「使命と魂のリミット」という小説を読んで、そういうことを思った。


使命と魂のリミット (角川文庫)使命と魂のリミット (角川文庫)
(2010/02/25)
東野 圭吾

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28歳、いまだ「使命」と思えるものは見出せない。

ただ“それ”は、早く見出せれば良いということでもないように思う。

10代で見つけられる人もいるだろうし、人生の最期に気付く人もいるだろう。

人生にはリミットがあって、それを見つけられる人自体が少ない。

あわよくば、そろそろ見出したい。と、思う。

そんな年頃

100407


4月が誕生月の同級生が29歳になり、20代最後の一年だということを聞く。

当然、自分も今年29歳になり、20代最後の一年の始まりを迎える。

去年28歳になり、やや自虐的に「アラサーの仲間入りだ」などと自分自身を揶揄したが、

実際にこの歳になってみて、その立ち位置の“曖昧さ”に、戸惑ったり、焦ったりしている。

28歳~29歳。この年齢の数年間というものは、非常に「微妙だ」ということを実感する。

それは、同年代の人々の有り様が、とても多種多様だということに他ならない。

仕事に恵まれ大成している人、

仕事が見つからず日々が手探りな人、

恋に生きる人、

恋が見つからない人、

結婚をして生涯の伴侶を見つけた人、

離婚の危機に苦しむ人、

子が生まれ、母親になった人、父親になった人、

公的に讃えられた人、犯罪を犯した人、

健康に恵まれた人、大病を患う人、

既に生涯を終えた人、

ありとあらゆる人生、そのすべてが有り得る年頃。それがこの歳だと思う。

「どう生きるべきか?」

ということの答えを出すことを必然とされる反面、

その自分自身に対する答えを確信をもって見出せず、

ふわふわとしてしまう。そんな年頃。



今、もっとも注目している漫画家の一人、渡辺ペコの新連載作品「にこたま」は、

まさにそういう年頃の男女の「姿」そのものを描き出した作品。

独特の“生々しさ”、それと同時に存在する“かわいらしさ”を合わせた人間描写は、

この1、2年の間でもっとも共感できる「表現」で、新作にもそういう部分が如実に表されている。

また新刊の発売が楽しみな漫画ができた。

にこたま(1) (モーニング KC)にこたま(1) (モーニング KC)
(2010/01/22)
渡辺 ペコ

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曖昧で多様。とても微妙な年頃。

ユーティリティープレイヤー

巨人の木村拓也コーチがくも膜下出血により急逝した。

「死」は誰にも平等で、だからこそ残酷だ。

ということを、重々分かってはいるつもりだけれど、こういう突然の「死」には、やはりやりきれない思いになる。


プロ野球選手としての彼の人生は、恵まれたものだったと思う。

ドラフト外で日本ハムに入団するも活躍できず、任意引退を突きつけられつつも広島へ移籍。

“雑草魂”でねばり強くプロ野球の世界に存在し続け、代打、代走、守備要員なんでもこなしてプロ野球生活を送った。

“ユーティリティープレヤー”なんて言うといかにも聞こえはいいが、

自分がやれる役割をすべてやるしか、彼にプロの世界で生き残る術はなかったのだと思う。

そうして年を重ね、11年間在籍した広島から巨人へ移籍。

スタープレイヤーが揃う巨人軍への移籍は、地味でスター性の無い彼からしてみれば、事実上の引退勧告と同等だったかもしれない。

しかしそれでも彼は諦めなかった。

層の厚い巨人でも控えの貴重なバイプレーヤーとして存在し続け、プロ生活最後の3年間を全うした。

昨年2009年、現役最後の年は巨人の日本シリーズ制覇に貢献し、有終の美を飾った。

決して順風満帆なプロ野球人生ではなかっただろう。

でも努力し、ひたすらに自身の道を全うすることで、彼はプロ野球選手としての“充足感”を得たと思う。


そういう充実した野球人生を送り、最後はグランドでユニフォーム姿で倒れ、最期を迎えた。

その結末を、慰みをもって「幸福だったろう」と思いたい人もいるだろう。

しかし、それはないと思う。

どんな形であれ、「死」はやはり辛く、悲しい。

突然の死は、殊更に無念で、無情で、やりきれない。

人間が生物である以上、それは誰にでも、いつでも起こり得る現実だということは、分かっている。

分かっていても、僕は、

そのどうしようもない理不尽さに、怒りすら覚える。

美意識の問題

慢性的な気疲れからか、一日中偏頭痛がまとわりついた。

ストレスを溜めてもろくなことはないので、仕事を終えてレイトショーを観に行くことした。

公開されたばかりのレオナルド・ディカプリオの最新作「シャッター アイランド」を観ようと思い、

映画館のWebサイトで上映時間を確かめた。そこで愕然とした。

話題の大作なので、どの映画館でも上映はしている。

が、近場の3つの映画館では、揃いも揃って「超吹替版」という一体持って普通のものとどう違うのか分からない吹替版の上映しかしていなかった。

「映画は吹替で観たい」という人を一方的に批判するつもりはないけれど、

個人的な価値観からは、吹替版で外国映画を観るなんてことは、有り得ない。

選択は自由であるべきだと思う。それでしか上映をしないというのは、どういう神経をしているのか理解に苦しむ。

遠い隣町の映画館で唯一字幕版での上映しているのを見つけ、時間に追われながら車を走らせた。

映画を観終わって、吹替版でしか上映していなかった映画館に対しての憤りは、幾重にも倍増した。

映画が、最高に素晴らしかったからだ。

主演のレオナルド・ディカプリオのパフォーマンスが凄い。

仕方なく吹替版を観て、その彼の台詞のトーンや息づかいを感じることが出来なかったらと思うと、ゾッとしてならない。

このところ映画の内容が分かりやすくするということで、公開時点で吹替版での上映が氾濫している。

それにより来客数が増えてきていることも事実であり、そのこと自体に一概に否定は出来ないのかもしれない。

ただ本当にそれでいいのかと思う。

俳優たちの「声」を無視して、外部から別物の音声を差し込むということは、映画という表現に対する冒涜に思えてならない。

ディカプリオをはじめ、素晴らしい俳優たちが、どういう声をしているのか認識できないなんてことになれば、これほどの「不幸」はない。

「文化」に対する美意識を忘れてほしくない。

ストロベリー・ライフ

日曜日に家族で海の近くの公園へ花見に行ったけど、

弁当を広げた途端に小雨が降り出し、

すぐに屋根がある場所へ移動し、正味の花見は5分で終了した。

結局、砂浜のそばで、ビーチバレーの練習をする大学生や、砂浜で走り込みをする陸上部の高校生を見ながら、弁当を食べた。

その後、実家へ行き、引き続き弁当の残りを食べながら酒を飲んだ。


どうやら飲み過ぎたらしく、二日酔いが最高に酷く、その夜は一晩中気持ち悪くて吐き続けてしまった。


そのまま体調を崩し、風邪を引いた。


そんな最悪なスタートを切った今週もようやく後半に差しかかり、少々安堵感を覚える水曜の夜。


21時過ぎに帰宅し、夕食の焼きそばを食べながら懲りずにビールを飲んでいると、

横で妻が苺を食べ始めた。

一つ二つは残してくれるかと思えば、もくもくと一人で食べ切ってしまった。

……まあ、べつにいいのだけれど。


そんなこんなで、新婚生活もはや5ヶ月経過。

短いようで長い。長いようで短い。

思い出の思い出

某動画サイトで、「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」動画をダウンロードして、

ダウンロードした動画ファイルから音声だけを抜き取って、

iPodに入れて聞いている。

仕事の行き帰りも、仕事中の移動時間も、床に就いて眠るまでの間も、ずうっと聞いている。

何せ、放送回数は100回以上あって、各回約90分の分量なので、当分は聞いても聞いても尽きない。


2006年の年明け頃の放送分を聞いていて、

当時、深夜放送を生で聞いたことがある回に当たった。

何を考えていた頃だろうと思い、「ひとりごと」を振り返ってみると、

東京時代にアルバイトをしていたレンタルビデオ店の社長のことを綴ってあった。

忘れてしまっていたわけではないけれど、過去の思い出は次第に薄れてしまう。

ただ、思い出すことで、思い出は、また新しい思い出となる。


他の4年前の少々青臭い「ひとりごと」を読みながら、

とはいえ、一体何が変わったというのかと、自問する。




……眠いや。



今夜も、過去のラジオ番組を聞きながら眠る。

ハネムーン vol.11「野生のオウムと豪州代表戦」

ハミルトン島には、コッカトゥという野生のオウムが生息している。

ということをホテルのガイドから聞いた。

どこで見られるのだろうと思っていたが、何のことはない。

ホテルの部屋のベランダに、しょっちゅうやってくる。

レモンイエローの鶏冠が真っ白い羽に映えるいかにも南国的な鳥の飛来に、

最初のうちは嬉しがって、写真を何枚も撮っていたが、次第に珍しくもなくなってきた。

なぜなら、食べ物目当てに窓を開け放した部屋を漁るらしく、日中はいつもどこかの部屋のベランダにコッカトゥがとまっていたからだ。
(非常に頭の良い鳥なので、冷蔵庫なんかも勝手に空けるらしい。それはそれで観たかった気もするが……)

そんなわけで、気がつくと大概数羽がベランダに飛来してくるので、

「ああ、また来とる」と、日常化していった。


ハネムーン25
「置物のようなオウム」



ビーチで午前中を過ごした後、ランチにファストフードとアイスクリームを食べに出掛けた。

バギーで島内を軽く周遊し、少し疲れたので一旦ホテルに戻った。


ハネムーン30
「島の娘」



愛妻は、アイスクリームを食べて満足し、いつものように昼寝をしはじめたので、

僕は、ベランダで野生のオウムの少し怖い目を見ながら、夕暮れまでの時間を過ごした。



ハネムーン26
「ヨットハーバーの夕景」


ハネムーン27
「島の娘Ⅱ」


ハネムーン28
「ハーバー沿いのレストラン」





日が暮れ始めたので、ディナーへ。

昨夜予約が取れなかったヨットハーバー沿いのレストランでイタリアン風のコース料理を食べた。

岩塩のまぶした生牡蠣がビールに良く合い、美味かった。



ハネムーン29




ディナーを終えて、食品店でお酒とお菓子を買って帰った。

テレビを点けると、サッカー中継が流れた。

オーストラリア代表とオマーン代表の親善試合のようだった。

日本ではもし放映していたとしても到底観ないだろうという対戦カードを、眺めるように観戦しながら、ワインを飲んだ。

そうしてハミルトン島二日目の夜は更けた。

そして今夜も管を巻く

雨上がり、金曜の夜。

ほとんど現実逃避と開き直りに近いけど、気分は晴れている。

21:30、仕事を終え、愛妻に迎えに来てもらい帰宅する。

寿司(パック)と辛子明太子を食べながら、いつものように晩酌。

缶ビールを1本と、焼酎の水割りを1杯飲んだ。

今週の日曜日に、酷い二日酔いからそのまま崩れ落ちるように体調を崩したので、

殊更、お酒を控えるようにと、愛妻は口を尖らせる。

ごもっともだ。とは思う。控えるべき部分は大いにあると思う。

ただ、今夜もほろ酔いながら、思う。

やっぱりお酒は飲みたいし、自分にとっては必要な要素だと。

と言うと、いかにもアル中の人間のようで、実際その素養はあるのかもしれないので重々気をつけなければならないのだが、

自分自身を顧みることにおいて、「酔う」という行為は不可欠だ、と思うのだ。

もっと若い時からそうだけれど、自分の場合、酔っ払うと普段より一層頭が冴える。

日常の余計な“もやもや”が一掃されて、自身の意思がはっきりと一本化される。

だから饒舌になるし、発想も豊かになる。

そういう部分での快感が、自分の中の「酔う」という状態の醍醐味だと感じている。

多くの人たちと同じように、楽しいことがあったり、嫌なことがあったりすると、飲みたくなる。

ただ僕の場合それは、その時の自分自身の感情をシンプルに際立たせたいからだと思う。

僕は、どんな状態になろうとも、最終的には自分自身を許す甘い人間なので、

結局のところ、どこまでいっても拠り所は、自分自身なのだ。

だから、何かがあって、喜んだことも、傷ついたことも、

その自分自身の状態を見極めることで、イーブンな状態が保たれる。

それが日常では、内外から余計な雑念が入り混じり、成せない。

だから、たまに酔っ払わないとやってられない。


まあ、愛妻の言うことも聞きながら、

ほどよく酔っ払い続けたいと、思う。

観戦つぶやき

久しぶりにプロ野球観戦に出掛けた。

地元の坊ちゃん球場へ、ヤクルト×巨人戦を観に行った。


プロ野球観戦1

プロ野球観戦2

プロ野球観戦3





いろいろと疲れたので、とりあえずつぶやきのみ。。。

春雨

頭が痛い。

へばりつくような偏頭痛は、何かの暗示か。

あたたかい雨が降って、さてこの先どうなることやら。

ちょっと今は、難しく考える余裕も集中力もなくて、ただ穏やかに眠りたいと思う。

こんなことで、致命的なダメージを受けることは、とても馬鹿らしい。

醍醐味

プロ野球観戦1


日曜日に地元の球場で開催されたプロ野球観戦へ出掛けた。

これまで何度もプロ野球観戦してきたが、

プロ野球チームの本拠地に住んでいるわけではないので、年間通して再々観に行けるものではなく、

その“楽しさ”というものをつい忘れがちになる。

それを思い出すのは、

チケットを切ってもらい、出入り口を抜け、スタジアムが目の前に広がる瞬間だ。

観衆の熱気に包まれた大きなスタジアムは、さながら開幕前の舞台のようで、プレイボールを待つ幾重もの期待感で満ちている。

そこに立ち入り、自身の期待感も同じようにスタジアムの中で溶け込んでいく。

実際は、野球というスポーツは、テレビ中継の方が断然分かりやすい。

ただし、「一球」の行方をひたすら追い、スタジアム全体でゲームの流れを体感する感覚は、

当然ながらその場所でしか味わうことができない。

プロ野球観戦に限らず、やはりそういうことには、積極的に臨まなければならないと思った。

運命

運命



もう今日で最後かもしれないな。

という思惑に反して、やっぱり明日も続いていく。

終わることが運命ならば、終わらないことも、やはり運命だと思う。

自分は基本的には運命論者で、得られた結果は総じて「そういう運命(さだめ)だった」と割り切る。

反省や総括は必要だとは思うけど、どんな場合であっても生じた「結果」は変わらないわけで、

後悔や懺悔をするよりも、「運命」だと考える方が、ずっと納得できる。

「一寸先は闇」というのは誰にも共通することで、

一度目を閉じたら最後、二度と瞼を開くことがなくなるかもしれない。そんな状況は人生の最期まで続く。

後悔しない人生を送れたならもちろんそれにこしたことはないのだろうけど、

なかなかそういうわけにもいかないと思う。

後悔しない人生を送るために、今この瞬間の人生を縛り付けようとも思わない。

ならば前向きに、良いことも、悪いことも、得られたことのすべてが運命だと考えたい。


一日一日をただ乗り切る日々は、決して実りあるものではないけれど、

それでも明日に繋げられれば、それはそれで上々なんだろうと思う。

少なくとも、今は。

「告白」

前々から言っている通り、

僕は「春」という季節が、嫌いだ。

嫌いというよりも、苦手だと言った方が正確かもしれない。

周囲の環境が、新しい人とものに溢れる空気感が、とても居心地悪い。

満ちあふれる新鮮味が鬱陶しくて、尻込みしてしまう。


そんな鬱蒼とした季節に、更に落ち込み滅入り、逆にこの季節に読むことが最も相応しいと思わせる特異な小説を読んだ。


告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)
(2010/04/08)
湊 かなえ

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一年程前に「本屋大賞」に輝いたベストセラーとして書店に平積みされていた頃から非常に気になってはいた。

が、ポップに「とても後味が悪い」というようなことが記されていたので、敬遠してしまっていた。

今年映画化されるという報を聞き、さて映画を先に観るべきか、原作をきちんと読んでおくべきか迷っていたが、

昨日、文庫版が発売されているのを見つけ、即座に購入した。

一気に読み切った。

ポップの通りに、非常に後味の悪い作品だった。しかし同時に、読むことを止められない小説だった。


幼い娘を亡くした女教師の“告白”からこの物語は始まる。

その「死」にまつわる真相を、事件に関わった中学生たちを中心とした「独白」によって連ねていく。

各人の告白を、形の異なる文体で綴ることにより、一つの「真相」が、禍々しい渦のようにぐるぐるとその形を変えていく。

人間の根本的などす黒さに満ちた描写には、文体でありながら思わず目をそむけたくなる。

しかし、描かれる「闇」は決して自分たちの日常から解離したものではない。

すぐそばに普遍的に存在するもので、それを見据え、潔く描き切った世界観が凄い。


「人間の愚かさ」などという形容ではとても足りない、人間の本質的なおぞましさ、そのありのままの姿を描いた作品だと思う。

或るスタイル

腰が痛い。

若い頃なら、少し疲労がたまっているだけだろうとスルーできることだけど、

三十路近くなってくると、このまま腰痛持ちになってしまいそうで、怖い。

愛妻に湿布を貼ってもらいつつ、いつものように寝床で寝そべってPCを開いていると、

彼女は、「その体勢が一番悪い」と、いつものように口を尖らせた。


ふと、自分はこうやって“寝そべる”という体勢が結構好きだということに気付く。

「ネバーエンディング・ストーリー」という映画で、主人公の読書好きの少年は、寝そべってひたすらに本を読む。

この体勢で本を読む度に、僕はそのシーンを思い出す。

悪い姿勢だと思うし、そうやって本を読み続けたことが、視力低下の最たる原因だとも思う。

ただ、この体勢が、自分にとっては最も物事に没頭できるスタイルのようにも思う。

そうして触れてきた数々の物語や、発してきた自身の意思は、とても大切なことで、

それはこれからも続くだろうと思う。


しかし、腰を痛めることは避けたいので、せいぜい背筋を鍛えようと思う。

いしづち

二日酔いの日曜日、は既に習慣のようになっている。

そういえば、昨夜の飲み会は「花見」だったということに、

友人のブログを読んで気づいた。

楽しく飲めればそれで良い。

が、最近は少々二日酔いが厳しい。

程よい量で心地良く酔うための飲み方を身につけなければならないと思う。


二日酔いの中、所用で早起きをし、

日曜日の午前中にあまりにもふさわしくない“狼男”の映画を観て、

昼からは市議会議員の選挙に行き、

昼寝をしてから町内会の会合に嫌々出席して、

昨夜の飲み会での与太話の思い出し笑いをしながら、

今日も日曜日が終わる。

終末

先日、世界の終わりの夢を見た。

最初はゴジラのような大怪獣が襲来するという幼稚な展開だったけど、

次第に現実的な悲壮感に満ちてきて、

ついには、世界中に核ミサイルが降り注いだ。

僕と愛妻は、何故だか大国の首脳陣と行動を共にしていて、とりあえず助かる。

この先どうなるのかと途方に暮れつつ、心の奥底で未知なる展開に期待していた。


どうにも疲れている……。

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