2007年07月

  1. 2007/07/02 コンサート
  2. 2007/07/03 空が夏色になってきた
  3. 2007/07/05 惑う
  4. 2007/07/08 記憶に残らない日曜日
  5. 2007/07/08 見舞う
  6. 2007/07/10 クルマ
  7. 2007/07/12 非・開放的
  8. 2007/07/14 のんき
  9. 2007/07/15 嵐の夜
  10. 2007/07/16 曇る海の日
  11. 2007/07/17 
  12. 2007/07/19 かわらない
  13. 2007/07/19 腫れる
  14. 2007/07/20 雨乞い……は、べつにしなくていいのですが
  15. 2007/07/21 蝿か蝉か
  16. 2007/07/22 夏の日
  17. 2007/07/24 梅雨明け
  18. 2007/07/26 アジアカップ準決勝VSサウジアラビア
  19. 2007/07/26 My name is ...
  20. 2007/07/28 プリン
  21. 2007/07/29 お一人様、夏の日
  22. 2007/07/30 愉快
  23. 2007/07/31 涼しいところで、

コンサート

ボクは今年、もう26歳になってしまう。が、いまだ歌手の「コンサート」というものに行ったことがなかった。
悔やまれるのは、東京に住んでいた頃、JUDY AND MARYの解散コンサートのチケットを新宿まで朝一で買いに並び、目の前でソールドアウトとなってしまったこと。
その後も、結局コンサートに行くという機会を得られないまま今日になったわけだが、ついに初コンサートに参じることとなった。
それは大好きな“くるり”のコンサート……ではなく、某ホテルで催された「鳥羽一郎サマーコンサート」だった……。

その某ホテルとの取引の関係上“付き合い”でチケットを2枚買った。
当然ながら、鳥羽一郎に興味はない。が、一枚7,000円もするチケットを買うことにそれほど大きな抵抗はなかった。
「父と一緒に行こう」と思ったからだ。
先月の父の日には何もしていないし、たまにはそういうのも良いかと思った。

そんなわけで、日曜の夜、父と二人で"コンサート”へ出かけた。
世の多くの男はそうだと思うが、「父親」と「息子」という男同士というものは、なかなか間が持たないものだ。
別に仲が悪いとか、気が合わないとかそういうことは関係なく、何か母親との間にはない“気恥ずかしさ”みたいなもを意識してしまう。
まあ最近は、自分が大人になってきたからなのか、そういうことも受け止められてきた部分があって、昔ほど過剰な意識はないのだが。

会話と無言を繰り返しつつ、コンサートの開演を迎えた。
いかにもなスモークの中から、いかにもなステージ衣装を着た鳥羽一郎があらわれ、ワンマンショーが始まる。
少し予想はしていのだけれど、いくら興味のない演歌のコンサートでも、やはりライブのエネルギーというものは強い。
ひたすらに「男気」を熱唱する世界が広がっていく。

数曲を歌い終わり、会場のテンションも最高潮になってきた頃だったろうか、ふと横目に涙を拭う父の姿が映った。
ステージ上の鳥羽一郎は、自身の母親を想う歌を歌っていた。
父親の母親(祖母だが)は、現在介護施設と在宅介護を繰り返す日々を送っている。長男としていろいろ思うことはあるのだろう。

父親の涙というものは、息子にとっては結構“特別”だ。
哀しいような、切ないような、何とも言い難い気持ちになる。
でも、今日一緒に来られたことは、とても良かったと思う。

コンサート終了後、ホテルの中の温泉に入った。
父と二人で風呂に入るというのも、もう何年ぶりか分からないほどだった……。

時間というものは、時に残酷に過ぎ去る。
これから、益々、父親と共に過ごす時間というものは、大切になものになると思う。



さて、いつになく長々となってしまった。

これは口外するべきかどうか少し迷ったのだが、これがあくまで「ひとりごと」であり、どんな状態であっても今現在の「自分」をもって発されるものである以上、やはり明記するべきだと思った。


父が、「胃がん」と診断された。


先週半ば、母親から「話がある」と言われ聞かされた時は、正直しばらく何も言葉を発することが出来なかった。
だが、あくまで早期の発見であるということ、胃の全摘出にはなるが手術と一ヶ月の入院で復帰は確実であり、完治の可能性は極めて高いということを認識し、落ち込んだところで仕方がないし、意味もないと思い直した。

世の中の誰もが同様だと思うが、子であり、親である以上、誰もが幾度か迎えなければならない局面の一つであり、それを通過することは必然なのだろう。
すべてにおいて楽天的になることは不可能だが、すべてにおいて悲観的になる必要もなく、今はただ父の快復と、そのために彼を自分の体以外のことで不安にさせないことを考えるしかない。

まあそんなわけで、いろいろと思った通りにはいかないが、絶対的に考えなければならないことがあると、余計なことを考える暇はなく、シンプルに生きられる。

明日から父は入院生活に入り、今週中に手術を行う予定だ。

ボクは、自分がやれることを、ただひたすらやるしかない。

空が夏色になってきた

まったく暑いぜ。
雨が降ったりやんだりで、蒸し返って余計に暑い。

まあ気がつけば、もう7月。
がっつりと「夏」なわけで。

一昔前まで「夏だ、夏だ」と喜んでいた頃が懐かしい。
いや、もちろん今でも夏は好きですがね。

海にでも行きますかね。

惑う

惑います。いろいろと。
惑う。これはもう一生な気がする。

大雨が過ぎて(松山では大したことはなかったが)、いよいよ夏の本番も近づく。
楽しいことばかりでは決してないだろうけど、それでも楽しくないと人生は意味がない。

体力もつけなきゃね。
ほんとうに、みるみる体が衰えていっているような気がする。

映画もしばらく見ていない。
何もかも忘れて、ただ映画を見続ける日ってのも欲しいもの。

そろそろ区切りかもしれない。

記憶に残らない日曜日


なんだかあまり心に残る出来事がない。
いや、たぶんいつになく「敏感」なはずなのに、感じ取ることによって生じる“ダメージ”を、無意識のうちに拒絶しようとしているのかもしれない。

またなんとなく週末が過ぎていく。

昨日は、Macを持ってスターバックスへ行って、気取ってみた。
インターネットがつながるかと思ったが、つながらなかった。

映画を見るために出かけたのだけれど、タイミングが合わず結局見ずに帰った。

中学時代の友達から飲みの誘いがあり、近所で飲んだ。
カラオケに行って、外に出たら朝だった。

帰宅して、眠って起きたら昼過ぎだった。

大量に茹ですぎたざるそばを食べながら、好きな娯楽映画の“ビデオ”を見終わると、もうこんな時間。

なんだか勿体ない感じがする。

さて、父親の見舞いでも行くか。
映画のDVDと漫画(20世紀少年)を持って行こう。

見舞う

先週父親が入院してから初めて、病院へ見舞いに行った。
平日は行けないので、仕方ない。

想定よりも良くない部分があったりして、だいぶ落ち込んでいるということを聞いていたのだけれど、思ったよりも元気そうな様子で安心した。

でもたぶん、ほんとうは不安で不安で仕方ないのだろう。

平気でなどいられるわけがない。

父親と僕は根本的な性格がよく似ているので、なんとなくだが精神状態は分かる。

面会時間が過ぎ、駐車場まで見送りにきた少し寂しそうな父親の姿は、大きくなくて、でも小さくもなくて、なんというかありのままの姿だった。

クルマ

じつは、古くてボロい家のクルマが替わって一週間ほどになる。
まあ替わったと言っても、買い替えたわけではなく知人から中古車を譲ってもらっただけなので新車なわけではない。

ただ普通の乗用車からワンボックスカーになったので、運転席の目線がはるかに高くなった。
運転位置が変わることで、運転しづらくなるかと思ったが、思惑に反してとても運転しやすい。

何事も、目線を変えてみるということは大切だと思う。

結果としてそれがフィットするかどうかは分からないが、「変える」ということが先ず大切なのではないか。
そう思うのだ。


せっかくなので遠出でもしたい。燃費は悪いが。

非・開放的

街でふいに誰か知っている人を見かけることは、時々あると思う。
多くの人は、見つけた瞬間に声をかけるのだろう。それがある程度親しい友人とかなら尚更だと思う。

が、僕はそういう時、なかなか声がかけられない。

どうも遠慮してしまう。
なぜかというと、もちろん自分が小心者だということなのだろうが、あと「果たして急に声をかけられてその人は嬉しいのか?」ということをつい考えてしまう。

主に精神的な部分だが、いつ人に会っても大丈夫という状態とそうでない状態というのは絶対にあって、そうでない状態の時にふいに声をかけられると、ちょっと焦る。

まあそうやってついつい壁を作りがちなのことは、自分にとって決して「得」ではないということは分かっているのだが、なかなか直らない。


あーあ、夏だというのにね。
蒸し暑い日々が続くだけ。

のんき


大きな台風が、なかなか良いコースに入ってきているらしい。
逸れ気味で通っていくだけかと思っていたのだけれど、コース的には四国の真ん中を通っていくようだ。
ただ、以前にも書いたが、松山という地域はなかなか台風被害というものが感じられないので、僕の警戒心は薄い。
今もそうだが、たぶん雨風が時折多少吹き荒れるくらいで終わるのではないだろうか。などと呑気なことを考えている。

今まであまり意識していなかったのだが、実は僕は「呑気者」らしい。
小心者ではあるけれど、「危機感」とか「警戒心」というものが薄いようだ。

たぶん、あらゆる物事に対しどんな結果になろうと、自分自身が行った自分自身の結果であり、大概の場合「正しい」と思っているからだと思う。
それは別に自分に“おごり”があるというわけではなくて、どんなことになろうと自分が自分のためにやったことなのだろうから、仕方がないと考えるのだと思う。

だから、これまで生きてきて、うまくいっていないことの方が遥かに多いはずなのに、それほど「失敗した」という感覚がない。
悪く言えば「反省がない」ということなのかもしれない。

でも、“良い”とか“悪い”ってことは、結局のところ主観の範疇を抜け出すことはできない。
ならば、どうやったってそれは自分で決めるしかなく、最終的に「良い」のであれば、それは間違いなく「良い」ことなのだと思う。

そうやって、今日も「まあいいや」と生きている。

嵐の夜

目が覚めると、案の定食い散らかされたラーメンが残っていた。

友達夫婦宅でいつものメンバーで深夜まで飲んで、帰宅し、昨夜は塩ラーメンを食べかけたらしい。
残された塩ラーメンにはご飯も入っていて、ちょっと気持ちの悪い感じになっていた。

まさかまた記憶がない状態で「ひとりごと」も書いているのか~と、おそるおそるブログを開いてみたが、どうやら書いておらず、枕元のMacから察するに、昨夜は書こうとして力尽きたらしい。

昨夜は何時まで飲んだんだろう。いつもよりは酒量は少なかったはずだけど、いつものように軽く記憶がとんでいる。

デジカメに残された写真にはいつもより自分が多く写っている。

何を話したのか?友達の生まれてくる子供の名前は何だったか?

いや覚えてますケドね。

まあ、楽しかったんだからそれで良い。


さて今日は何をしよう?
夜中にご飯入り塩ラーメンはかなりヘビーだ。泳ぎにでも行こうか。

台風は過ぎたのか?

曇る海の日

海の日。曇り空。

3連休の最終日だったが、特に予定もなく。
別に行きたい気分というわけでもなかったのだが、やはりここはということで海へ行くことにした。

曇り空の下に広がる海は、夏らしいということもなく、穏やかだった。
所々に家族連れは見られたが、閑散としていた。

考えてみれば、7月のこの頃合は大体の場合、まだ梅雨明け前だ。
海へ行こうとする人もまだ少ない。
なのに、なぜ「海の日」はこのタイミングなのだろう。

もっと夏真っ盛りの時なら良いのに。



夕方が近づいてくると、さらに天気は崩れてゆき、大雨になった。
まあ雨は嫌いじゃないから、いいのだけれど。

蝉は鳴き始めたが、まだ夏の“気配”は感じられない。

なんとなく、明日は晴れればいいな。と、思う。

今日は、結構大切な日になった気がする。

かわらない

きっとこの世界において、“変わらないもの”はない。
それが、幸福なことか、哀しいことかはよく分からないが、いろいろな“変わりゆくもの”の中で、僕たちは生きているのだと思う。

「変化」が自分にとって良いことであればそれにこしたことはないし、良いように変わっていければ問題ないのだろうけど、
なかなかそういうわけにもいかないみたいだ。


起き抜けに、蝉の鳴き声が聞こえてきた。
また、夏が、はじまる。

腫れる

指の関節は、上が第一関節?下が第二関節?どっちだっけ。

まあどちらでもいいか。

右手の第二関節(たぶん)が腫れて痛い。

先日、夜の海で虫に刺されたようだ。

夏は好きだが、虫は嫌い。

自分が好きなものだけに囲まれて生きることは難しい。

でも、結果がどうであってもそれを望み続けることは、間違ってはいないと思う。

嫌いなものに目を向ける暇など、本当はない。

好きなものだけで、すぐに僕の容量は溢れる。

そしてそれらがすべて手に入るわけではない。

ただひたすらに求め続けるしかない。

いつも、いつも夏は短い。

今日も一日中、眠かった。

雨乞い……は、べつにしなくていいのですが


それでも日々は過ぎ、また週末を迎える。

何があろうと、なかろうと。

何かが変わったような。何も変わらないような。


ある地方の民族は、日照りが続くと、古くから伝わる雨乞いの儀式をする。
その儀式をすると、必ず雨が降る。

なぜか?


答えは、「雨が降り始めるまで雨乞いを続けるから」

降らない雨はなく、やまない雨もない。

すべてのことは、似たようなものだと思う。

蝿か蝉か

“うるさい”という漢字は、「五月蝿い」ではなくて、「七月蝉い」か「八月蝉い」にすればいいと思う。

雨が上がった土曜の朝、響き渡るセミの“うるささ”で目覚めた。

蝉はうるさいが、やはり夏は好きだ。

今日みたいに朝から晴れた日は、特に良い。
ブラインドの隙間から溢れ出る眩しさが、解放的で心地いい。

ああ。なんか暑くなりそうだ。
夏が好きとか言いつつ、近年めっきり暑さには弱い。体力不足だ。

とりあえず振り切って、海へ行こう。BBQをしよう。

夏の日

海へ行く。BBQをする。花火をする。

毎年の変わらない楽しい時間。

ようやく、夏が始まったという気分が高まる。






梅雨明け

昨日、梅雨が明けた。
空梅雨かと思わせつつ、水害も起こすほどの大雨に見舞われた変な梅雨だった。

世の中、変なことばかりだ。
変な天気、変な事件、変な殺人、変な不祥事、変な人々……。
逆に何が変じゃないのか分からなくなってきそうだ。

どうすることが正しいのか。
いつまでたっても分からない。

揺らぐ。
自分ができることとは、本当は何なんだろう。

見たことがない世界を、見たい。

では、見れば良い。それは分かっている。


夏になった。空が眩しい。

アジアカップ準決勝VSサウジアラビア

「あー、悔しい」
とてもシンプルな感情を胸に0時半過ぎ床につく。

アジアカップ3連覇を目指し、上り調子だったオシムジャパンだったが、強敵サウジアラビア相手に2-3で敗れてしまった。
お互い疲労感が蓄積する中で、予想を反した点の取り合い。実力的にはほぼ互角だったと思うが、文字通り競り負けてしまった感じだ。

まあ仕方がない。勝負事は勝つか、負けるかであり、結果のそれがすべてだ。

大会前には多少の不安があったオシムジャパンだが、今大会のパフォーマンスはトータル的に見れば素晴らしかったと思う。オシム監督の戦術は徐々に確実に浸透してきているし、素人目にも良いサッカーが出来ているような印象を持った。
「ワールドカップ」という到達点までの“過程”と捉えるならば、順調と言えると思う。

これから必要なのは、劣勢に立たされた時の「転換力」とそれに伴う選手層の充実だろう。
昨日のサウジアラビア戦、チームの核である中村俊、遠藤の動きは連戦の疲労で明らかにベストではなかった。が、そこで彼らに見劣りしない控え選手がいるかというと、ちょっと厳しい。
現日本代表の各選手は非常に良い選手が揃っていて多少の劣勢に対しては落ち着いて反撃できる実力が備わっているけれど、逆境を劇的に打開するための「爆発力」に乏しい感じがする。
そういう「爆発力」を備えた選手が新たに出てくれば、日本代表はもっと強くなる気がする。

ともあれ、アジアカップはまだ終わっておらず、日本は3位決定戦を残す。
久しぶりの“日韓戦”。
決勝に進めなかったことは残念だが、これはこれで非常に楽しみだ。

My name is ...

一応明記は避けるが、僕は自分の名前が結構好きである。

小学生の低学年頃は、平仮名にするとなんとなく愚鈍な響きを覚えてあまり好きではなかった。
思い返すと、その頃は名字の方も平凡な印象を感じて気に入らなかった覚えがある。

が、今はまあ名字はどうでもいいが、名前の方はかなり気に入っている。
漢字一文字のところも、昔は愚鈍と感じた響きが今はなんとなくグローバルな感じがするところも、大抵の場合すんなりと読まれないところも、好きである。

でも、最近少々気に入らないことがある。

長年において、僕は自分の名前に対して「特別感」を覚えていた。
まわりに自分と同じ名前の人はまずいないし、曖昧な言い方で申し訳ないが、“あの字”で“ああ読む”名前の人なんて日本で自分一人だろうと本気で思っていた。

しかしその「幻想」は突如として崩される。
某早食いチャンピオンの名前の漢字と読みがまったく同じだったのだ。
しかも彼は僕より年上だった。なんだか自分が“真似”をしたようで、なんとなくショックだった。
同じ名前の人など世の中にはいくらでも存在することが普通なのだから、ショックを受ける必要などないのだが、自分の名前を特別視していた僕にとっては拭えないものがあったのだ。
素養が何であれ、彼が有名人であることも、なんだか悔しかった。

そして今日、読みたかった小説を古本屋で見つけ喜んでいたら、その作者の名前がまたもや同じ漢字と読みだった。当然ながら年上。
しかも今度は気鋭の作家。早食いチャンピオンとはまた別段の悔しさを覚えた。


こうなれば、自分が特別になるしかない。と、少々本気で思ったりする。
普段は、あまり意識しないのだが、時折、自分は自尊心が物凄く強いと思う。

(ああ、それでその字なのか……。)

プリン


今週はキツかった。暑いし、気持ちはフラフラするし、大変だった。
ただ、それでも日は過ぎ、時間は過ぎ、夏は過ぎていく。



ずうっと気になっていたものを、ついに買って帰った。
僕は、プリンが好きである。



で、でかい。すごい。
僕は以前から、「プッチンプリンなら10個は食べられる」と家族に豪語していたので、このビッグサイズはまさに「念願」である。

それにしてもこのサイズは市販としてはちょっと普通じゃない。
「もう無理矢理でかくしました」感がたまらない。

プッチンプリンなんだから“プッチン”しないと意味がない。
ということで“プッチン”してみた。ケータイと比較してみた。
ちっともかわいくないドテッとした感じがまたたまらない。



食べてみた。
もちろん味は変わらない。いつもの(普通サイズを食べるときの)ノリでどんどん食べていく……。
……へらない。
基本的なことを忘れていたようだが、甘いものは「飽きる」。
それは大好きなプッチンプリンでも決して例外ではなかった。

結局、あと二口、三口を残してギブアップしてしまった。
我慢しきれなくて夕食の直後に食べ始めてしまったことが間違いだった。

すみません。10個は食べれません……。
おまけに食べ過ぎでお腹が痛くなった。(子供か!)

お一人様、夏の日

今日は朝から(というか昨夜から)、なんとなく一人でいろいろ過ごしてみようと思っていた。
こういう気持ちがふらふらしてしまう時は、一人で過ごしてみるのが、良い。
(とは言っても、誰かに誘われたら行く気は満々だったのだが…)

午前9時過ぎに起きて、とりあえずmacを起こしつつ、腹が減ったので(朝から)カップ塩焼きそばを食べた。
僕は麺類が好きだ。何が一番好きかというと、それはやはり“ぶっかけうどん”なのだが、それに次いで“パスタ”、そして“焼きそば”が好きである。特に、“塩焼きそば”が好きだ。……まあ、そんなことはどうでもいい。

正午近くになり、天気も良さそうなのでとりあえず出かけてみることにした。
馬鹿みたいに暑かったので、車で出かけたかったが、ガソリンが乏しく、財布の中身も乏しいことは明白だった。というわけで、灼熱の太陽の中、仕方なく久しぶりに原付(Benly)で出かけることにした。

予想通りというか、当たり前だけれど、夏の太陽が容赦なくむき出しの両腕を焼く。生っ白い腕は、すぐに赤みをおびてきた。
まあそれはそれ、夏は夏、仕方がない。さて、どこに向かうか。


この暑さ。バリエーションがなくて嫌になるが、「やっぱ海に行かなきゃウソでしょう」という自己結論に達し、昼時ということもあり前から行きたかった浜辺に隣接するカフェに行ってみることにした。



今日は風が強く、浜辺のカフェはエアコンが効いていなかったが、開け放たれた窓から気持ちのいい浜風が吹き抜けていた。
ペペロンチーノとアイスティーを頼んで、昨日から読み始めた、僕と同じ名前の作家の医療ミステリー小説の続きを読み進めた。

ペペロンチーノはニンニクが大量に効いていて、食後の口臭が気になったが、すぐにどうせ人と会う予定もないことに気付き「どうでもいいや」という気持ちになった。量は少なかったが、味の濃さで丁度いい感じだった。
すぐにペペロンチーノを食べ終え、少し小腹が減ったので、デザートにハニートーストなんぞ頼みつつ、2時間ばかりそこで小説を読んで過ごした。
客の入りも少なかったし、もう少しいても良かったのだけど、午後が進むにつれ日当りが良くなり過ぎて暑くなってきたので、出ることにした。

学生や、家族連れらの海水浴客で“かわいらしく”わく浜辺のスナップを何枚か撮って、地元県民でなければなかなか正確に読めないらしい地名にある浜辺を後にする。





時間はpm3:00にさしかかる。さて何をしようか。
はっきり言って、あまり選択肢は持っていない。
すぐに、街に行って映画でも見ようかということにした。

街は夏恒例の「夜市」の準備やら何やらでにわかに賑わい始めていた。何となく揚々としている人々の多さに若干辟易した。祭り事は嫌いではないが、あまり人ごみは好きではない。
目当ての映画の上映時間まで小一時間つぶしてから、映画を観た。
好きな俳優が出演している香港映画だったが、雰囲気の良さのわりにストーリーは今ひとつな映画だった。

映画館を出ると、すっかり夜市に来た人々で“わらわら”としていて、全く興味がない僕はそそくさとそれから抜け出し、街を後にした。

pm7:00過ぎ。そのまま帰ろうかとも思ったが、プールで泳いでいくことにした。
最近、運動不足というか、体力低下が甚だしい。このままではほんとうに“おっさん”まっしぐらだ。
数十分ほど、軽く泳いだだけなのに、すっかり疲れてしまって、眠気と食欲そしてお酒が飲みたくなった。

帰り際、スーパーに寄った。パスタソースとスパークリングワインを買って帰った。
今夜は母親が帰らないので、自分で夕飯を用意しなければならなかった。昼食にペペロンチーノを食べたのに、またパスタが食べたくなってアサリとマッシュルームのパスタソースの元を買って、ささやかに自炊することにした。
パスタを200g茹でて、冷蔵庫にあった地鶏のハムをざっくり切って夕食(もといつまみ)とスパークリングワインを飲みながら、「日韓戦」(アジアカップ3位決定戦)を観る…………。



食べ過ぎ、飲み過ぎかと思ったが、今気づけば、200gのパスタもハムも、スパークリングワイン1本も、すっかり“空”になっている。
気まぐれに泳いだ意味は全くない……。


ハムをねらう犬


日韓戦はスコアレスのままついに、PK戦。
結果は次回。
つーか、なげえ、駄文。

愉快

あー夏い。
眩しさに溢れた解放的な感じも、慢性的な気だるさも、すべてが夏っぽくなってきた。

毎週のことだが、持ち帰り仕事がいくつかあるのにモチベーションが上がらず、後回しにして、とりあえず選挙に出かけた。

「選挙」というものに対して、好きか嫌いかで答えるとしたら、たぶん好きな方だと思う。(もちろん与えられた責任なので、好きだろうが嫌いだろうが行くべきなのだが)
何週間も前から日本中に選挙用紙を郵送したり、日本中のあらゆる場所に投票場を準備したり、開票後はすべてのテレビ局が選挙速報を何時間にも渡って展開したりする仰々しさに対して、最近「面白み」を感じる。
立候補者を中心にした様々な「思惑」がまざまざと交錯する様が、見ていて面白い。
特に今回の参院選のようなドラスティックな展開になると、政治家たちの明暗があからさまに表われて、益々その人間模様が際立つ。
その様が、殊更に愉快だ。


選挙に行った後、昼食がてらにドーナツ屋に行って、昨日に引き続き読みかけの小説を読み進める。
2時間程で切り上げて帰るつもりだったのだが、小説はいよいよクライマックスにさしかかりとても中途で切り上げられなくなった。
結局最後まで読み切った時には、3時間が経過していた。すでに夕刻。

いつものように日曜日は足早に過ぎ去る。
また長いウィークデーが始まる。

涼しいところで、

まるで大手出版社がこぞって打ち出す恒例のフェアに、まんまとハマっているようで嫌になるが、夏になると小説が読みたくなる。

元々、どちらかと言えば読書家だし、年間通して小説は読むのだけれど、暑くなってくると益々活字に触れ、創作の世界に浸りたくなる。

暑くて心身ともにばて気味な自分を、創造の世界へ放り込んでしまいたくなるのだと思う。
そういう意図であれば、“いつも”のように映画を観ればいいじゃないかとも思うが、そのニュアンスは微妙に違う。
夏の激しさと、一寸の静寂の狭間に身を置き、何かを自分の中に注ぎ込もうとする時、しっくりくるのは「映像」ではなく「文体」なのだ。

そんなわけで先日は前々から気になっていた医療ミステリー「チーム・バチスタの栄光」を二日で読んで、今は買いためたまま読んでいなかった“よしもとばなな”の小説を読んでいる。
そして昨夜は寝床で、某古本屋チェーンのショッピングサイトから小説を5冊買った。(5冊も買ったのに計\1,523!安い☆)


夏は大好き。暑いのは結構。でも外にはいられない。涼しいところで小説を読むのが良い。

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