2006年09月

  1. 2006/09/01 秋が
  2. 2006/09/02 えいが
  3. 2006/09/02 愚かしい介入(全日本排球)
  4. 2006/09/04 メンセⅡ
  5. 2006/09/06 向き不向き
  6. 2006/09/06 母親
  7. 2006/09/07 最近どうも文章が長い。
  8. 2006/09/07 「X」イコール
  9. 2006/09/08 小説家
  10. 2006/09/09 トモダチ
  11. 2006/09/09 固い寝床
  12. 2006/09/10 楽しく酔うということ
  13. 2006/09/11 秋めいて
  14. 2006/09/11 螺旋
  15. 2006/09/13 ①②③(三部作)
  16. 2006/09/16 眠い……。
  17. 2006/09/16 びしょ濡れ睡眠
  18. 2006/09/18 もう何度目でしょうか、酔っ払い駄文は。
  19. 2006/09/19 初出社
  20. 2006/09/20 「とびこめ!」という話が国語の教科書にあった。
  21. 2006/09/21 二度寝の夢
  22. 2006/09/23 ナチュラル
  23. 2006/09/23 Saturday
  24. 2006/09/24 秋晴れ
  25. 2006/09/25 コンパイ
  26. 2006/09/26 リズム
  27. 2006/09/30 花金(死語)

秋が

ふと気がつくと、8月が終わっていた。
8月最後の日は、一日中雨が降り、残暑の熱をぐんと下げた。
もう瞬間的に“肌寒さ”を感じた。

秋がはじまり、冬が来る。
もう、あっという間に寒くなりそうな気がする。

午前4時。窓外から虫の音が聞こえる。
友人の結婚式の二次会の準備をしながら、秋のはじまりを感じる。

えいが

天気が良い。
晴れ渡っているが、もうそれほどに暑さは感じなくなった。やはりもう秋だ。

昨日は一日だったので映画に行った。
このところとんと映画を新しい映画を観なくなってしまった。映画館に行くのも先月の映画の日以来だから、また丸々一ヶ月新作映画を観ていなかったことになる。
理由はいろいろ挙げられる。お金が無かったり、暇が無かったり、本当に観たい映画が無かったり、が一番深刻なのは、“なんとなく映画を観る気になれない”ということだ。

僕の場合、映画を観るという行為には、ある種のエネルギーが要るというのは前述した通りだが、どうもその気力が欠如しているように思う。
以前ほど、何を置いても絶対に映画だけは観るという気概が無いような気がする。
自分としては、非常に困ったことである。

今年これまでに観た映画の本数は36本。なんと月平均4.5本、このままだと年間50本に届くか届かないかという超ローペースである。

なんだか、こうやって段々と映画なんて観なくなっていってしまうんじゃないかという恐怖すら感じ始める。

愚かしい介入(全日本排球)

昨今、スポーツの様々な競技・大規模大会に対して、マスメディアの暴力的な介入が問題視されている。

今年のワールドカップの日本戦における国内広告代理店の介入、先日の亀田何某の世界タイトルマッチにおける某キー局の介入などは記憶に新しいところだろう。
それら一連の蠢き(うごめき)は、スポーツの醍醐味とは程遠く、例外なくそのスポーツ自体の価値を低減させ、懸命に競技生活を続けている選手たちを辱める。

そういう甚だ愚か過ぎるメディアの介入が、いよいよ深刻化してきた競技がある。
バレーボールである。
全日本バレーボールには、以前からメディアの介入が色濃かった。もう通例化しつつさえあるが、全日本の試合がテレビ局と某アイドル事務所の過剰なまでの演出によってすっかり“ショーイベント化”してしまっていることは周知の事実だろう。

バレーボール経験者&愛好者とって、一連の過剰演出は決して歓迎できない不愉快なものだった。
ただ、バレーボールがマイナー競技であることも事実。テレビ放映をするならば、ある程度の演出は仕方がないことは、それが効果的かどうかは別としてギリギリ理解できた。

が、しかし、いよいよその“介入”は「不愉快」では済まないレベルまで達してきている。

今、「女子バレーボール ワールドグランプリ2006」という大会が開かれている。(まあこの大会自体、モロにメディアの息がかかっていそうな胡散臭い大会ではあるのだけれども。)

開幕から日本の6試合あまりを観てきて感じたことだが、「選手の起用」にまで明らかなメディアの「意思」の反映を感じてならない。
でなければ、まともな「采配」をしているとは思えないのだ。
人気選手の“アイドル化”や多分に演出を含んだ“スター選手化”はこれまでにもあった。が、今大会では、明らかにコート上に立つプレー選手の“固執化”が目立つ。
ただ監督が無能であるだけの話なら、いくらかマシでシンプルな話だが、どうやらそうではないらしい(監督が有能でないことは確かだが)……。


執拗な“介入”を繰り返すメディア側の功罪はもちろん大きいが、それに応えるバレーボール協会自体もどうしようもなく愚かだ。
全日本バレーの(特に女子)そのレベル自体は、一時期の深刻な低迷時と比べれば明らかに“上り調子”である。
サッカーのオシム監督じゃないが、“考えるプレー”そして“日本らしいプレー”を真摯に突き詰めれば、確実に世界に太刀打ちできる。そう言えるほど、状況に応じた“ベストな起用”さえすれば、選手の人材的には恵まれてきている。
だからこそ殊更に、ただ「勝利」に執着することができていない日本バレーが、愚かしくてならない。

バレー経験10年、バレー観戦歴20年。サッカーや野球を中心にスポーツは全般観るが、文字通り一挙手一投足までそのプレーに“楽しみ”を見出せるのは、やはりバレーボールだったりする。故に憤りは際限なく膨らんでくる。

効果的にメディアを利用し、バレーボールというスポーツ自体の“浸透”を狙うことはいっこうに構わないと思う。
が、メディアの安直な利益追求と宣伝戦略に一方的に呑みこまれ、残せるはずの「結果」を残せず、その先に一体何が残るというのか。

メンセⅡ

昨夜は、日中色々と移動する用事がありとても疲れていたので、わりと早寝することができた。「早寝」と言っても、実際に眠りに就いたのは午前2時近かったと思うが…。

(脈略は全く無いが)そういうわけで、今日は朝一で求人応募先の「最終面接」に出かけてきた。
説明会、一次面接と経てきているので、さすがにそれほどの緊張は無かったが、いよいよ社長面接ということで、締め慣れていない“気”を引き締めて三度求人先へ向かった。

うむ。いつになく“感触”は良かったような気がする。相手があることなので、現実の状況は分からないが、自分としてはずいぶん“素”で望めた。
まあそんな“感触”なんて、これまでも多々感じてきたことではあるので、アテにはならないが。
とにかく、もう結果を待つしかない。

向き不向き

先日の面接で。
「営業向きだ」というようなことを言われた。

親しい友人らはみんな知っていることだが、僕は激しい“人見知り”である。
彼らは、「営業向きだ」と言う面接先の社長に対し「んな馬鹿な」と思うかもしれない。
ただ自分自身は、「あーやっぱりね」と思ったりした。

もちろん“人見知り”であるということは、自身も認める事実である。初対面の人と気軽に接するなんてしたくもない。
詰まるところ、「営業」なんて極力したくないというのが、単純な本音だ。

が、これは以前から気付いていたことなのだけれど、僕は「どーしても避けられない対人関係」が生じた時、非常に愛想が良い。
基本的に、“外面が良い”というやつだ。これは父親ゆずりだ。

過去いくつもアルバイトを経験してきているが、自分の思惑以上に「接客」に定評があったりする。今までやってきたアルバイトすべてにおいて“接客”という要素は生じていたが、たぶん例外なくその先々で上司もしくはお客から接客態度”を褒められた。

言いえて妙だが、他人と話すことは嫌いだし、接客自体も決して好きではないが、ある程度慣れてくるというか自分の中で調子が付いてくると、逆に“快感”じみたものが生まれてくる。
だから自分の好き嫌いで言えば、他人との対話とそれに伴う仕事は「嫌い」である……が、実のところは「向いている」のかもしれない。

楽観とも悲観とも言えるが、自分の好きなことが自分のやれることとは限らず、自分の嫌いなことが自分のやれることかもしれないわけで。
そして、本当の好き嫌い・向き不向きというものは、時間と経験を経た上で見えてくるものかもしれないとも思う。

母親

まさに速報的だが、今朝、秋篠宮妃紀子さまが帝王切開手術により男児を出産された。

男児が生まれたことにより、皇室典範の問題はある意味益々複雑化していくだろう。
個人的な見解としては、今の時代、男系じゃないと駄目だとか女性天皇の是非だとかその議論自体とてもナンセンスだと思う。語弊を含み敢えて短絡的に言わせて貰えば、これだけ男女平等が謳われ現実化していっている風潮の中で、女系・女性天皇が誕生することに対し疑問視することの「意味」がもはやよく分からない。
今日を境に典範問題は暫く遠のいてしまうだろう。が、男児が生まれたからといってそうでは、これまでの議論の意味が無くなってしまう気がする。

まあ実際のところ、庶民レベルではどうでもいいことかもしれない。ただ紀子さまが無事に出産を終えたということを、シンプルに祝福したのでいいのだろう。

そして、それと同時に、「母親」の強さを感じる。

実は、うちの母親も帝王切開で出産している。僕と妹両方ともである。
その話を聞くたびに、素直に「すごい」としか言えない。当然のことだが、母親とはなんと偉大なものかと思う。
安易に言うと、“お腹を切って子供を生む”のである。いつまで経っても僕にはイメージすら容易ではない。

母親のお腹には、出産の痕が一筋残っている。その痕を見るたび、否が応にも母親への感謝は膨らむ。
母親は出産時、激痛と共にお腹を“切られる”感覚がしっかりとあったという……まさに、「母は強し」である。

最近どうも文章が長い。

なんだか思惑以上に釈然としない感じが何とも言い難いのだが。

どうやら就職してしまうようだ。一応。

午前中、紀子さま出産の報道が続く中、求人応募をして先日最終面接を終えた会社から電話があった。が、僕はうどんを作っていてそれに気付かず出られなかった。
その会社からの連絡事項はこれまですべてメールだったので、なんとなく“異質”なものは感じた。
普通の人なら、着信に気付いた時点で間髪入れず折り返して電話をするのだろうが、最高に電話嫌いな僕は、またかかってくるだろうと待つことにした。こういう部分は我ながら非常に常識がないと思う。

ところが、正午をまわり刻々と午後を経過していっても一向に連絡がない。今までメールだったんだから、またメールで連絡してくるんじゃないかと何度もメールソフトを開くが、そちらも全然受信しない。
夕刻になりさすがにやばいと思い、渋々電話をかけた(緊張)……



というわけで。とりあえず“トライアル雇用”という契約で就職することになった。
一応喜んでいいところだとは思うが、冒頭にも記した通り、いまひとつ晴れきれないものが残る。
それはこれからが物凄く大変だということを知っているから。
中途採用は厳しいのだ。短い期間で使い物にならなければ、あっさりと使い捨てられるだろう。しかも現場は、少数精鋭で営むベンチャー企業、一寸も楽観の余地は無い。

が、ようやく、本当にようやくスタートに立つことができたことも事実。
何をやらされようが、何が出来なかろうが、“やる”しかないわけで。もはや考え込む時間などない。

思えば、随分長い間くすぶっていたようにも思う。
もちろんそのすべてが無駄だったなんて思うはずもなく、経るべくして経てきた自分にとって重要な時間だった。すべては自分が望んだことだ。

が、いろいろなものを失ってきたことも現実。先立たぬ後悔は少なくはない。

格好良いことを言うつもりはないが、本当に僕の場合、失うものなんてもうないわけで。
成功しようが失敗しようが、それに関する「経験」は残る。
今得ているものは、その確実さだけだ。


このところどうも文章が長々しい。理屈っぽい。
根拠はないけど、なんとなく歳をとったなあと、思う。

「X」イコール

なんとなく時間を持て余した午後。久しぶりに小説を読み始める。

ベストセラーとなった直木賞作品、東野圭吾の「容疑者Xの献身」。
発売された当初から読みたかったのだけれど、時間のお金がなくて随分と先延ばしになっていた。
先日古本屋で安く手に入ったので、ようやく手に取ることができた。

非常に頭の良い作者による非常に頭の良いミステリーという感じだった。
流行作家らしく文体は読みやすく、数時間で一気に読むことができた。
つまりは、まあ面白かった。昨今の流れからすると、映画化は必至だろう。

僕も脚本を学んでいた時によく見聞きしたことであるが、物語の構築というものは、文学的と言うよりもむしろ数学的だと言える。
そこには緻密な計算による構築が必要なのだ。

今日読んだ小説は、数学者による緻密に計算しつくされた完全犯罪が物語の核心であるだけに、そういう物語構築の要素を改めて感じた。

小説家

昨日は久しぶりに小説を一冊読んだが、元来本を読むことは好きである。
読むものは専ら好きな作家や話題の小説だが、良い小説つまりは読者を引き込む文体というものは、非常に芸術的であると思う。
個人的には「小説家」という職業はとても憧れである。

まあ最近は、「憧れ」は憧れのままいることがベストなのかもしれない。とも思うようになってきた。
僕の好きな作家が言っていたことであるが、「小説家などというものは、何も出来ることがなくてどうしようもなくなった者が行き着く先」であるらしい。
確かに世の小説家の経歴というものは、いわゆる社会のレールからはみ出しているものが多い。

そういえば、かの文豪夏目漱石にしたってそうである。
就職するのが嫌で、できる限り長く就学期間を延ばし、教師になったはいいが幾度も神経衰弱に陥り、気分転換として辿りついたのが「小説を書くこと」だったのである。(by「吾輩は主婦である」)

つまりは、普通に生きられているうちは小説なんて書く必要はなく、したがって小説家などになる必要もないわけだ。
そして普通に生きられるということは、何をおいても幸福なことであろう。

しかし、“普通になんて生きたくない”という思いも、至極自然な願望だと思う。
ただ、それをするには、まだまだ「苦悩」が足りない。



トモダチ

9月、はやくも“序盤”が終わろうとしている。
一年前のこの時期にも書いたような気がするが、今年ももう4ヶ月をきっている。
もはや「早すぎる」とか思うのも飽きるほどに、光陰は矢の如し。


このブログにも直接リンクしているのだが、最近株式市場でも話題の某コミュニティサイトを利用し始めて一年ほどになる。
そのコミュニティサイト内で登録し合っている友人の数が、やっと2ケタになった。
サイトの利用者はよく分かると思うが、この交友関係の構築のペースは極めて“遅い”そして“少ない”。
自分より後に始めた人たちが、容易にサイト内での友人数を増やしてゆくのを横目で見ながら、改めて己の友達づくりのヘタクソさを感じる。

もちろん自分が望んで、安易に交友関係を広めていないという部分もあるのだが、それを踏まえても、自分が社交的でないことは明らかだ。
こんなんで営業をしようってんだから笑える(実は笑えない)。

べつに「友達が少ない」と感じたことはない。自分としては充分に友達に恵まれていると思っている。
が、自分の感情は度外視して客観的に比較してみると、多くはない。いや少ない。
(友達としての)新しい出会いがあったとしても、自分の中である程度時間をかけて、相手のというよりは自分自身の“壁”を取り払わないと、「友達」というふうにならない。そしてその率は極めて小さい。

まあ詰まるところ、“人見知り”ということだと思うが、どうしても「友達」という関係性の中で「適当」に付き合うということが出来ない。
それは、友達が多い人はその何割かを「適当」にしていると思っているわけではなく、僕自身が友達によって態度を変えることが苦手だということだ。
「友達」である以上、どうしても“素”で付き合いたい。
もちろんみんなそうなんだろうが、僕は必要以上に、他人に自分の“素”を見せることを怖がる節がある。実際誤解されやすい性格ではあるので、仕方がない。

それと、友達が多いのはいいが、どうやったって時間の限りやその他の制約はあるわけで、結果的に「友達」であるのにしばらく何の連絡もしていないという状況が、あまり好きではない。
決して友達が多くはない現時点であっても、各方面にそういう友達はいて、それはとても心苦しかったりする。

まあとにかく“ナイーブ”なわけで。そのくせ自己顕示欲は人一倍強いから面倒くさい。
とかなんとか思っている自分自身が“好き”なんだから、益々始末が悪い。

固い寝床

土曜日・薄曇・今日は友人の結婚式。


土曜日にも薄曇にも結婚式にもまるで関係ないが、このところひとつ気づいたことがある。
それは、自分の寝床が“固い”ということだ。
ここ数ヶ月いよいよ寝つきが悪いというのは、すっかり悩みの種であるが、その原因のひとつはそれのような気がする。

今僕は、フローリングの床に敷布団を一枚敷いて寝ている。
意識をしていたわけではないが、それがどうも心地よくないらしい。
敷布団の下が、畳だったり、絨毯だったりすれば幾分違うだろうが、フローリングはやはり“固い”のだ。
その証拠に、この二日ほどソファーで寝ているのだが、わりとすんなり眠りに就くことが出来る。(とは言っても寝る時間自体は午前3時を越えているが。)

そして睡眠時間自体も、普段は10時間近く寝ても目覚めが悪かったのに対し、この二日は6時間ほどの睡眠で充分に「快眠」出来ている。
どうやら理由は明らかなようだ。

ただ、今はまだソファーで寝ることにほとんど問題はないが、じきに支障が出てくるだろう。
どうやったって足の先ははみ出してしまうので、これからどんどん秋深まる季節には厳しいものがある。次第に体の節々が痛くなってくるであろうことも必至だ。

ベッドを買わねばなるまいか。だが、これ以上部屋のスペースを減らしたくないのも心情。「快眠」は絶対必要。利害の板挟み。

楽しく酔うということ

やや二日酔いの気だるさと共に昼過ぎに目覚める。

昨日は友達の結婚式だった。
友達の結婚式に参加したのは去年に続いて二度目だ。
去年も思ったことだが、やはり“めでたい宴”というものは、つくづく楽しい。
特に結婚式などというものは、すべての人間が「祝福」という唯一無二の理由のために集まるわけだから、その楽しさというか“幸福感”は何にも変え難いものがある。

久しぶりに心の底から楽しく酔えた。それほど量は飲んでないと思うのだが、気分の良さがとても効率よく酔わせていった。

今更ながらお酒は楽しく飲むものだと思う。
互いが良い気分で楽しい酒を飲めば、大抵のことは解決する。
そして、生きるということも、楽しくなければ始まらない。と、思う。

秋めいて

夕食時に扇風機が回っていたのだが、それが「寒い」と感じるようになってきた。
すっかり秋めいてきた。

夕方、「ハチクロ」の最終巻を読んで涙ぐむ。
「片想い」の登場人物たちが、行き着く先に必ずしも「恋愛」の成就を求めずに「感動」を仕上げたこの漫画はスゴイ。

夜、夏の間に撮った写真をプリントアウトする。
と言っても、夏がやっと始まったところでデジカメが死んでしまったので、今年は遥かに量が少ない……。あー思い出すのも嫌だ……。

深夜、なんと5ヶ月ぶりに自室で未見映画のDVDを観る。
映画自体はそれほど面白くはなかったが、どんどん映画を観ねばと思う。

季節は「秋」。やっぱり自分的には「文化の秋」なわけで。

螺旋

9月11日。いわゆる「9.11」。五年前のあの衝撃は、やはり印象強い。

日本のメディアで報道され始めたのは、2001年9月12日の0時近い深夜だった。
東京の一人暮らしの部屋で毎晩見ている報道番組を見ていると、速報と共にアメリカのニュース映像がそのまま挿入されてきた。
「世界貿易センタービルに飛行機が激突した」
という第一報を聞いた時には、なんて酷い“事故”だろうと疑わなかった。
が、数分後二機目の激突映像が映し出された瞬間、「テロ」だとかそういう具体的な言葉が導き出される前に、絶対的な不穏さを感じたことをよく覚えている。
よく言われることだが、爆発炎上する二つのビルの映像を見ながら、僕も同様に「これは本当に現実なのか」という疑問が浮かび、突如崩れ落ちた様を見て一方的にその疑問も消え去った。
第一報から数時間、「同時多発テロ」という言葉が次第に具現化していく報道を見続けた。

あの衝撃が世界にとって“ショック”であったことは言うまでもない。
様々な場面において影響は飛び火し、その後遺症はまだまだ拡大している。

だがそのショックによって、世界は何か変わったんだろうか?
「悲劇」は、5年前のあの惨劇そのものではない。
あれが終焉ではなく、長い長い年月における人間の憎しみの螺旋の一端に過ぎないということ。
そして、その螺旋はいまだどこにも終着を見せず、どこまでも愚かに連なり続けているということ。
今この瞬間も更新し続ける「現実」こそ、「悲劇」だ。

①②③(三部作)

①どうやらスーツ生活になりそうなので、毎日着るためのスーツを買いに行った。
が、店が休みで買えなかった。

ネクタイを締める生活など、自分が望むところではなかったが。
「ネクタイを締める生活」をしたこともないのに、「嫌だ」というのもおかしいと、今は思っている。
「無理」なら無理で構わない。ただそれが言えるのは、「無理」なことをした上でのことだろう。


②働き始めるまでの束の間に、ある程度精神的な余裕ができているようで、ここ数日精力的に自室で映画を観ている。この4日ですでに5本。今年稀にみるハイペースである。
部屋で映画を観る時は、専らパソコンで観るのだが、その時に座る椅子がなかったことが、このところ部屋での映画鑑賞が出来ていなかった最大の要因だった。
が、無理やりソファをパソコンの前に移動することで、それは解決した。


③ところで、ここ数日は、高校時代の日記をブログに書き写すという作業に没頭している。
17~18歳のリアル日記(もちろん手書き)である。
今もかれこれ青臭いことを書くが、当時の日記はもう文字通りその文体全てが青臭くどうしようもない。当然公開するなど、恥ずかしいことこの上ないのだが……おもしろいので、「どーしても人には見せられない部分」は割愛してうつすことにした。おもしろさには勝てない。
データとしての保存にもなるし。なによりももはや大昔のことだし。

昔の日記は度々読むのだが、読む度にその時の感覚や思いが顧みれて、擬似的にタイムスリップするようで面白い。
だいぶ間違った考え方をしている部分もあるし、今読んでも正しいと思える部分もあるし、消し去りたい部分もあるが、まあみんな含めて“あり”だと思う。

眠い……。

えーと、眠い……。

お金もないのだが、久しぶりに飲んだ。まあ先週の結婚式で飲んでるんだけど。

近所の居酒屋(焼き鳥的)が、「(注文ごとに)じゃんけんに勝てばドリンク無料」という自暴自棄なキャンペーンをしていて、6連勝くらいしたので、6時間も飲み食いしたのに、「大丈夫なのか?」と心配するほどに安価だった。アリガタス☆

もう既に分かりきっていることなんだけど。
こういう日々のなんでもない“営み”を記すこと自体に、とんでもなく「意味」があるということなわけで。
至極、なんでもない今日の記録が、一年後には明確な「価値」として存在するかもしれないわけで。
特に何も紡げなくとも、無意味なことは何もない。

泥酔状態で、かろうじて綴るこの文章に「意識」が無かったとしても、「残る」ということに意味がある。と、思ったり。

友達を送り、小雨の中帰り、ただその充実感の中で思ったり、思わなかったり。

ますだおかだのラジオを聴きながら、ただ「眠い」と思う金曜の深夜。

びしょ濡れ睡眠

最近はだいぶ酷くはなくなってきているのだけれど。
今朝は二日酔いがけっこう酷かった。
頭痛と吐き気で朝方に一度目覚めるが、それ以上の眠気とその時点まで見ていた夢の続きが気になって、二度寝した。夢の続きは見れた。

で、もう一度目覚めて気付いたのだが、背中辺りを中心にして広範囲に渡って“濡れていた”
何事かと思い、まさか“お漏らし”かなどと最悪の想像も巡らしたが、どうやらその痕跡はなく、ふとソファの下を見ると空のグラスが横たわっていた。
たぶん、昨夜眠りに落ちる寸前に水を飲んでいて、グラスを持ったまま眠ってしまったらしい……。
グラスはジョッキだったので、一リットルほどの水を自らの体の上でひっくり返した状態のようだ。

そういえば、夢の中で、海に飛び込む場面があったような無かったような。
夢の内容は、何かのグループと何かのグループが追いつ追われつで、沖縄に行くというものだったような気がする。

まあ何にしても、ただの水をひっくり返しただけで良かったという話。

もう何度目でしょうか、酔っ払い駄文は。

数ヶ月ぶりに、自分のPCの壁紙を好みのアーティストのものから、好みの女優のものに変える。

久しぶりに、直下型で大型の“台風”が近づいてくる。

週明けには(火曜日)、「就職」の本番が始まる。

そんな9月の日曜日。

“結婚式の二次会のお疲れ会”だか、“たこ焼きパーティー”だか、友人の“シークレット誕生会”だか、単なる“飲み会”だか……、えー、とにかく飲んだ。
ビールを飲んで、ビールを飲んで、ワインを飲んで、ワインを飲んで、飲みくさしたワインのボトルを持って帰った。

翌々日に、“初出社”を控える者にとっては、丁度いい“紛れ”だったと言える。
好きなように、飲んで、酔って、言いたいことを言って、帰っていったのだから、自分にとって、こんなに都合の良いことはない。
そいういう“場”があることを、幸福に思う。

「酔う」ということで、過ぎて良い時間が過ぎるのなら、それはそれで幸運なことだと思う。
そこに表面的な意味は決してないが、同時に「無駄」でもないわけで。
端から、“酒を飲む”なんてことは、そういうことを多分に含んでいるわけで、そこに目的とか意味とかを求めること自体がナンセンスだ。



毎度のことだが。
こうやって誰よりも酔った上で、帰って、こういう駄文を綴る「余地」がある時点で、ある程度“問題”だとは思う。

あー、風が強くて、自転車で帰るのにいつもより幾分も骨を折った。
そのことについて、何の“不便”も感じないがね。


悲観的になるも、楽観的になるも、自分次第。誰も介入の余地はない。
どちらに転ぶべきか、そんなことはとうに分かっている。
分かっていることを、そのままに実行することができれば、それほど楽なことはないわけで。

明日は、“大荒れ”になるでしょうか。

初出社

いまだかつてない程に緊張し通しだった一日が終わった。

実は今日は、就職先への初出社日だった。
例のごとく極度の緊張状態に陥り、昨夜は緊張のあまり「ひとりごと」の連続だったくせに、その過度さによってココに文章を綴る気にもならなかった。気が気じゃなかった。

昨夜は全然眠れないかと思ったが、意外とすんなり眠気が訪れた。が、逆に寝たらすぐ“朝”なのが嫌だったりした。
万全を期して目覚ましを二重にかけたが、案の定、セットした時間の数十分前に目覚めてしまい、もう少し寝ようとしても寝れるはずもなく、眠いのか眠くないのかもよく分からないもやもやとした朝の時間を過ごす。

ため息を散々つきながらスーツに着替え、食欲などあるわけもなく、水だけ飲んでいよいよ「出勤」。

出社時の挨拶などのイメージを何回も繰り返しながら、事務所の扉の前にたどり着く。が、扉を開けようとすると、突然向こうから開き、出てきたのはなんと車掌……じゃない社長Σ(゚□゚(゚□゚*)--!!
イメトレは一瞬にして無駄に終わり、思いっきりおたおたしながら事務所の中へ→。

さすがに出社一日目なので、いきなり何かをやらされるなんてことはなくて、午前中は自社制作のWebサイトをチェックし、午後は上司の後ろに付いて顧客先へ営業まわり。(なんかモロに自分が営業マンという感じで笑えた)
で、一日が終わる。

まあ何度も言うが、もうやれるか?やれないか?なんて二の次で、やるしかないと思う。
じきに「やりがい」も感じれば、「嫌気」も感じるだろうが、とにかくは頑張ろうと思う。
結局、「辞める」のはいつでも出来る。どちらにしても、自分が今まで「やろう」と思わなかったことを「やってみる」時間というのは、自分にとって無駄ではないし、価値は生まれるだろう。

今日はただ単に「気疲れ」しただけだが、そのうち心底ハードになるだろう。
まずは、一日一日をこなしていくしかない。

果たして、どうなることやら。

「とびこめ!」という話が国語の教科書にあった。

出社2日目。。。

さっそく「飛び込み営業」の研修をさせられた。
アポもなにも取ってない見知らぬ事業所にいきなり入ってくなんて出来るかよ!と、思っていたが、意外と出来た。
所詮、まだリアルなプレッシャーが生まれていないだけの話だ。
まあもちろん営業としてはかすりもせず、ただ出来たばかりの自分の名刺を渡して帰っていくだけにすぎない状態だった……。

まあとにかく今日は一日中外回りで、“飛び込み”ばかりやっていたという話。
疲れた。ザブンッ。

二度寝の夢

引き続き飛び込み営業で、道後のホテル街を歩き回る。
軽く靴擦れした。イタス。

まだまだ暑いしね、スーツで歩き回るのはしんどい。


今朝6時前に一回目が覚めて、あと30分程寝ようと二度寝すると、気持ちの悪い夢を見た。

何かの事故で頭を負傷し、緊急に脳手術を受けなければならなくなり、近くの名医がいるらしい病院へ担ぎ込まれる。
なんだか胡散臭いその名医に麻酔をかけられ、夢の中でさらに睡眠へ落ちていく。
でも、痛みはないが頭の辺りの感覚はうっすらとあり、手術で頭蓋骨を外される“感じ”が妙に生々しく残るという夢。

頭蓋骨をごっそりと外されて、脳を突かれる感覚が、今も残っている。
非常に気持ち悪イ。

ナチュラル

というわけで。
初出勤の一週間が終わった。と、言っても今週は4日間だったが。

まあつまるところ「疲れた」の一言に尽きる。
何をもってそれを証明するかというと、あれだけ“眠れなさ”に思い悩んでいたことが嘘のように、この数日は寝床に横になるともう数分で寝てしまう。
しかも“頂上”をまわる前の時間に。

やはり、人間疲れれば眠れるということを改めて知る。


来週からは、いよいよ「営業」の仕事なんてものが本格化する。
社長や上司が、営業は「数字」がすべてなんてことを毎日執拗に言ってくる。
リアルなプレッシャーを多大に感じつつも、その状況が、なんかよくあるドラマみたいで笑える。

暑い中、スーツで歩き回ったりすると、虚しさや嫌悪感は感じる。
やったことのないことに対する「興味」というものも、確かにある。

とりあえずは、立派な営業マンを目指せと言うのなら、精々それを演じてやろうじゃないかと思う。

近年あり得ないほどに早起きし、相当に憂鬱な気分で出社に至る。
午前中は乗り切れないままに過ぎるが、夕方近くになるとだんだん乗ってくる。
20時、21時までの残業は当たり前になってきそうだが、夜が深まり、疲労が蓄積するほどに、気分はナチュラルハイになってくる。

ま、ナチュラルハイだろうが、カラ元気だろうが、うつ病だろうが、「やる」しかないわけで。
もう、あまり考えるのはよそうと思う。

無理だろうが、無理じゃなかろうが、じきに何かが開けよう。

Saturday

すでに習慣づいているのか、それとも、大切な休日を出来るだけ長く過ごしたいからか。
寝てりゃいいのに、午前8時に目が覚めた。まるで休みがうれしくてたまらない小学生のようだ。

朝食にうどんを食べた後、今週の朝ドラの録画を2日分だけ見た。
んで、久しぶりにBenlyを駆って出かけることにした。

午前中は映画館へ行き韓国映画を観た。
映画通の間ではわりと話題のその映画は、韓国映画には珍しい“モンスター”もので、韓国ならではの趣向の違いが興味深かった。

映画館を出て、天気も良いので、散歩&営業の下地調査がてら松山城のロープーウェイ街へ行ってみた。
リニューアルされたロープーウェイ街は、新しそうな店も多く小奇麗ではあったが、週末にしては人通りはまばらな感じだった。観光客は、外国人ばかりだった。
おにぎり屋で、昆布と明太子といくらのおにぎりを買って、松山城を少しだけ登ったところで食べた。まあまあ美味かった。

朝は少し肌寒かったので、秋めいた感じに洒落て出てきたのだが、昼過ぎになるとまだまだ日差しは強く、汗ばんできたので、カーディガンを脱いで半袖で帰った。

ああ、Excelの勉強をしなくちゃならない。

明日は日曜。久しぶりに「余裕」を感じる土曜日。

秋晴れ

日曜日。今朝も早くに起きた。
昨夜は、夜更かししようかと思っていたのだが、「疲労」と、すでに身に付きかけている「習慣」のせいか、午前1時頃にはすっかり眠くて、結局シャワーも浴びずに寝てしまった。

起きて、シャワーを浴びて、今週の朝ドラの残りを見た後、現時点にかけて明日の営業先のリストアップ作業をする。
見ず知らずの店舗の名前と住所を入力し続けていくと、なんだか微妙な気持ちになった…………が、考えても仕方がないことなので、やめた。

しばらくのうちは(ヘタすりゃずっと)、こういう葛藤は続くのだろう。
それすらも、仕方がない。だからどうだということではない。

これまで以上に、「切り替え」というものが、必要だろう。
それは、自分自身が意識的にしなければならないことで、流れるままにしていては、知らぬ間にいろいろなものが鬱積してゆく。


昨夜もいつものように夢をみた。けど、それがどういうものだったかは、何も思い出せない。
それは、それが夢だからだ。
現実に起こることは、たとえ忘れても、絶対に思い出すという可能性を持つ。
だからこそ厳しい。だからこそ大切なのだろう。

秋晴れがつづく日々。

コンパイ

ああ。。。疲れた。

今日から一人での営業まわり。予想以上に疲れた。精神的に疲れた。
へこむ。自分の状態に凹む。非常にヘビー。

やめよう。考え込むのは。どう考えたって仕方がない、今は。

というか太陽が暑すぎて、思考が益々鈍る。

眠いよ。

リズム

特に午前中はほとんど“鬱状態”である。
正午を過ぎて、夕方にかかってくると、次第に元気になってくる。
バイオリズムの問題だろうか。

一日中、運転しかしていない。

花金(死語)

いやはや少々お久しぶり(ひとりごと)。
24時間以上ぶりにパソコンを起動させる。以前の生活なら、とても考えられない。

実は。一昨日から昨日にかけてかなりの「鬱」状態に陥ってしまった。
まあ、鬱というか、ただ単に落ち込んだというだけのことかもしれないが。

新しい生活、新しい行動にストレスフルな日々。まあ、いつものことではあるが。
朝も昼も食欲がわかず、一日中ただ社用車で市内をぐるぐるまわる日々。
正直なところ、このまま事故にでも遭えばいいのに、などと思ったりする(根暗)。

で。こういうときに、「親」というものの有り難さを感じたりするわけで。

あからさまに「凹」状態の俺を見るやいなや、親子3人でのささやかな飲み会を開いてくれたりする。
いつも買うのは発泡酒なのに、そういう時はちゃんとしたビールが並んでたりすると、正直、心に染みるものがある。

そういうことがあるだけで、人は日々を乗り越えられると思う。

そうしてなんとか、今週も終えることができた。
待ちに待った「週末」で、久しぶりに気持ちが軽い。

夜中にさしかかる頃、近所のいつもの焼き鳥屋に飲みに出かけた。
今月中金曜日は、じゃんけんに勝てばドリンク無料という阿呆な企画(謝謝)を立てている店で(しかも馴染みなので、店員はわざと負けてくれる)、3時間ほどいたのに、会計は二人で千円弱だった。

非常に気持ちのいい状態で現在に至る。
働き出してからというもの、0時前後には確実に睡眠状態にあるため、こんな時間まで起きているのは本当に久しぶりだ。
ほんとに、以前なら考えられない。

ああ、目がしぱしぱする……。

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